友寄 そうですね。病院の中はみんな病人だから互いに理解があるんですけど、学校はそうじゃないので。
あと、当時はウィッグのバリエーションもそんなになかったので、とりあえずネットで手に入ったウィッグが茶髪だったんです。仕方なくそれをかぶって登校したら、友だちから「茶髪いいな」って言われたり、先生からは、「茶髪は校則違反だから黒髪のウィッグにしておいで」と指導されて。
――かぶりたくてウィッグをかぶってるわけじゃないのに。
友寄 こっちからしたら、黒髪だろうが何だろうがウィッグより地毛が良かったし、好きでかぶってるわけじゃないのにこんなふうに言われてしまうんだって、ショックでした。
それと、私の通ってた学校がかなりヤンチャな学校だったんですね。
ヤンチャな下級生に胸元のカテーテルを引っ張られて…
――ヤンキーが多い?
友寄 ヤンキーだらけで(笑)。当時はかなり荒れてる学校だったんですけど、階段がうまく降りられなくて、手すりにつかまりながらゆっくり降りてたら下級生の子に突き飛ばされたり、胸元に入っているカテーテルを引っ張られたりして、本当に怖くって。
学校からは、留年して落ち着いた環境の中で進路を決めることを提案してもらっていましたが、復学したところで体力的にも精神的にも皆と一緒にやっていく自信がなかったので、卒業するかたちを取らせてもらいました。
――15歳から30代までの思春期・若年成人のがん患者のことを「AYA世代」と言いますが、友寄さんの闘病中はまだこの概念がなかった?
友寄 「AYA世代」という言葉もなかったと思います。私は16歳から17歳の時期に闘病をしていましたが、今から思えば、学業的にも生殖医療的にもサポートが受けにくかった時代でした。
「AYA世代」という言葉が出てきて、“妊孕性温存”を初めて知った
――ほとんど高校に通えなかったということですが、勉強に関するサポートは?
友寄 病院内には院内学級があったのですが、中学生までは義務教育なので授業の時間があるんですけど、高校生はなくて。なので、院内学級の先生に無理を言って一緒に教えてもらったり、学校からの課題は担当医や看護師さんたちが勤務終わりに何時間でもつき合ってくださって。でも、それはやっぱり歪ですよね。
――妊孕性温存(編注:生殖機能を温存するための卵子凍結といった生殖補助医療のこと)の話はありましたか。
友寄 抗がん剤治療中、ずっと生理は止まっていましたし、退院後も生理不順になっていたので、もしかしたら妊娠に影響があるのかなとぼんやり思っていた頃、「AYA世代」という言葉が出てきて、“妊孕性”についてはじめて知りました。