白血病になった経験を発信して、炎上してしまったワケ
――そんな中、今では芸能のお仕事や献血の啓発活動もされています。
友寄 もともと俳優養成所に入っていたこともあって、この現状を発信して自分で仕事を作り出すしかないと、切羽詰まって芸能活動を再開した感じでした。
――若くして白血病になったことで、メディアから「この経験から学んだことは?」的なことを聞かれることも多いと思います。複雑な気持ちになりませんか。
友寄 辛いことの方がよっぽど多いわけですけど、“美談”としてまとめる締めの言葉を求められるんですよね。現実はそんなに美しいものじゃないよ、とは思いますね。
「おかげで今は元気になりました」みたいなことを発信したことで、炎上したこともあります。
――どうして炎上したのでしょうか。
友寄 「病気が簡単に治るものだと思われるだろ」とか「今も苦しんでる人がいるのに、幸せなヤツが何を言うんだ」みたいなことを一緒に闘病していた人から言われて。
その後、競泳選手の池江璃花子さんが白血病を公表されたことで取材を受けたときも、「お前は骨髄移植してないだろ」みたいな、病気でマウントを取るようなバッシングを受けました。
寛解後に活躍している人の存在をしんどく感じる人もいるのかと思うと、気持ちは分かるので申し訳ないというか、心苦しくも思います。
出産してから、今まで以上に病気が怖くなった
――2021年には、26歳年上で当時小金井市長だった西岡真一郎さんと結婚され、お子さんも出産されました。
友寄 私の場合、講演活動や献血の啓発イベントにも参加させていただいているので、日常的に病気を考える機会が多かったこともあり、なかなか病気が“過去”にならなかったんです。闘病仲間だった子と数年ぶりに会ったとき、その子が、「もう昔のことだからあんまり覚えてないな」みたいに言ってたんですけど、私は本当に鮮明に覚えてて。
自分だけ取り残されているような気持ちになったこともありますが、出産して目の前の忙しさに追われているうちに、病気のことを思い出す機会が減りました。ようやく第二の人生というか、区切りがついた気がしています。
――母親になったことでまた変化があった?
友寄 今まで以上に病気が怖くなったし、絶対死にたくないって思います。逆に、当時の親の気持ちを今になって想像できて、ちゃんと恩返しできていないと思う部分もあります。
小児病棟で、「大切な家族じゃなく、我慢できる私が病気になって良かった」と話していた中学生の子が闘病中に亡くなってしまったんですが、そのときは私も抗がん剤治療中ということもあって、訃報をしばらく教えてもらえなかったんです。
でも、どんなに姿が変わっても友だちであることに変わりないし、その子に挨拶できないままお別れすることになってしまったことがずっと心残りで。それ以来、人間関係を後回しにしなくなりました。
撮影=釜谷洋史/文藝春秋