刺し身は絶対に食べなかった
明治天皇は、生まれ故郷の京都を愛した。いまでは想像しにくいが、話し言葉も京都弁で、「何を着て居ても暑い時は暑いのや。これでえゝ」「新聞はよしあしや」「一ぺん見ると、又あとが見たうなつていかん」といった調子であった(大正天皇の生母・柳原愛子の証言)。
食べ物でも、やはり京都方面から取り寄せたものを好んだ。野菜では、嫁菜、蒲公英(たんぽぽ)、独活(うど)など。魚類では、鮎、鯉、鱧、若狭湾で取れた小鯛や鰈を非常に好み、鳥類では、鶉をよく食べた。
鮎、鱒、鮭の「魚の子」は茶碗一杯分をいっぺんに食べたともあるが、これは稚魚か魚卵のたぐいだろうか。
そのいっぽうで、刺し身は絶対に食べず、酢の物、漬物、果物の大部分はほとんど食べなかったらしい。
今回は、鰈の煮付けとイクラを用意した。
形が崩れたので、鰈の写真は割愛する。「魚の子」は詳細がわからなかったため、手に入りやすかったイクラで代用した。入れ物は冷酒用のコップである。
アスパラガスを投げ捨てて遊ぶ?
西洋物では、明治天皇はアスパラガスを取り寄せてよく食べた。これについては、興味深いエピソードがある。
天皇はアスパラガスを1本食べて、あとは床に捨てた。すると、侍従の米田虎雄が「是は是は」と拾って貰い受けた。埃がついて汚いのだが、そんなことはお構いなしだったらしい。
天皇はこの様子が面白かったようで、米田が当番のときはよくアスパラガスを絨毯の上に投げた。酔っ払いが意味不明な行動を取る感じだろうか。天子の遊び方は謎である。
ちなみにこの米田は、天皇の前でベロベロになり、別の侍従を指して「こんなものはまだ青二才でございます」などと管を巻いたことがあった。天皇もこれには困り、「早うあつちへ連れて行け」といって追い出してしまったという。
このように臣下が先に酔っ払った場合、天皇は警戒して酒を控えめにする傾向があった。御前で泥酔していいのかとも思うが、自身が大酒飲みなので、その点は寛容だったのかもしれない。
それはともかく、ここでは野菜としてアスパラガスを用意した。
入れ物がなかったので、靖国神社で購入した湯呑みを用いた。