2010年、TBSのバラエテイ番組『クイズ☆タレント名鑑』で、情報をすべて遮断された生活を送る企画「情報原人」に挑んだエッグ矢沢(38)。
6月中旬、noteにて『テレビ番組で監禁されてぶっ壊れた俺が今思うこと』と題して当時の様子を綴って注目を集めた彼に、出演までの経緯、情報遮断生活が心身に及ぼした影響などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/続きを読む)
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天にも昇る気持ちで受けた「情報原人」オーディション
――本日は、よろしくお願いします。
エッグ矢沢(以下、矢沢) あのう、いきなりなんですけど、僕ら世代にとって松本(人志)さんって、もはや神なんですよ。当然、僕は信者も信者って感じで。
というわけで、文春さんは僕にとってめっちゃ敵側なんですよね……。そこんとこは、最初にハッキリさせておいてください。
――わかりました。それでも、お話を聞かせていただければと思います。オーディションを経て「情報原人」に出たとのことですが、企画内容などは聞かされていたのですか。
矢沢 とりあえず、事務所から「テレビのオーディションがあるから行ってこい」と。TBSのゴールデンとだけ教えられていました。
当時は、吉本の養成所NSCを卒業して1ヶ月くらいで。NSC卒業直後にテレビのオーディションがくるなんてことは、まず普通はないんですよ。もう、オーディションに呼ばれた時点で頭ひとつ抜けた感じ。だから、天にも昇る気持ちだったし、そうなると「どんな企画なんだろう」なんていうのはどっかいっちゃいますよ。
――「NSC卒業直後にテレビのオーディションがくるなんてことは、まず普通はないんですよ」となると、かえって怪しんでもよさそうですが。
矢沢 当時の自分はそんなこと考えず、「テレビのオーディションが決まった、よっしゃー!」って感じで。
オーディションには、1個上、2個上の先輩たちと僕らの30人くらいの芸人が集まって。先に呼ばれて戻ってきた先輩芸人が「彼女はいるかとか、バイトは辞められるのかとか聞かれたから、長期間系かも」みたいなことを言ってたんですよ。それが情報として、オーディション待ちの芸人たちに伝わっていって。
で、みんなは5分から10分でオーディションを終えて戻ってくるんですけど、僕だけ1個の質問に30個くらい返して。死ぬほど喋り倒して、スタッフをドカドカ笑わせて。
――相当な手応えが。
矢沢 間違いなく、受かったなと。ただ、長期間系らしいことはわかっても、詳しい内容は一切わかりませんから。それで『進め!電波少年』みたいにさらわれて外国に行かされるんじゃないかとか、だんだん不安になってきて。
で、6月になってワールドカップが始まって、先輩芸人から「三軒茶屋に集まってワールドカップを見よう」って電話が来たんです。僕、めちゃくちゃ勘がいいんですよ。だから「あ、これ来たな。さらわれるな」ってピンと来ましたね。
だって、その先輩って野球好きで、サッカーの話なんか一度もしたことなかったですから。しかも、三茶って先輩にも俺にとっても行きにくい場所だったんですよ。