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「英語学校に入る」と信じシンガポールに渡った1人の少女

 長くシンガポールで開業していた医師の西村竹四郎は、「からゆき」たちを診療することも多かった。その1人の政代、通称「まあちゃん」のことを『在南三十五年』(1936年)で印象的に描いている。

 まあちゃん(政代)は、それはそれは丸顔の愛くるしい、あどけない小娘であった。彼女の両親は、3歳の時まあちゃんを姉の養女にやって、郷里丸亀(香川県)からこの南洋に渡ってきたのだ。

 

 彼女の父親というのは人品卑しからぬ温厚らしい人であり、母親は縫い物にいそしんで生計を立てていた。時には(自分の)医院の用事も手伝ってもらった。彼女の両親は考えた。「国に残した女の子は今年15になる。姉から取り戻して連れてきたのなら、女の子だから玉の輿に乗るようなことでもあれば、自分たちは左うちわで暮らせる――」。そこで、相談のうえ、母親が国に帰り、姉と仲たがいまでして無理に娘を引き取り、当地へ連れて来たのである。

 

 まあちゃんはこの地に着くと、すぐわが家を訪ねて来た。十分に伸びそろわぬ髪に赤いリボンを付け、みずみずしく美しい容貌にあふれるような愛嬌をたたえ、紫の袴をはき、学校道具をそろえ、「ここの英語学校に入るために来た」とうれしそうに語る。彼女は本当にそれを信じているらしい。「かわいそうに。おまえの背後には悪魔が毒牙を磨いている。無恥な父母を持ったのが不幸だ」と心は暗然としないわけにはいかなかった。

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 まあちゃんはやがて中国人の富豪の息子に見初められて「妾」となり、父母も同居して、思い通りになったように見えたが、彼女の運命はそれに留まらなかった。悪性の病気に感染して西村医師の手術を受け、その後、「赤い友禅に細帯姿で媚(こび)を売りに出た」。やがてスマトラ島に渡ってコーヒー店を経営。金を稼いでシンガポールに戻ってきたが……。