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「世を諦めて死んだ」

 1921(大正10)年6月14日、「政代が世を諦めて死んだ」。西村は「可憐な花であったが、風雨に傷められ、悩まされ、ついに泥土に托すに至ったのは痛ましい」と次のような詩を作って追悼した(要旨)。

 新嘉坡(シンガポール)へ来たのは 叔母さんの家から英語學(学)校に入る為めと 

 彼女の小さい行李*には 教科書だけが這入(入)つてた

 繼(継)母の云ふ(言う)叔母さんとは 有名な女郎屋のミセス

 彼女は海老茶の袴を脱ぎ 赤い友禪(禅)(を)まとひ

 白粉に涙かくして 異国人を迎ふ(う)る身となつた

 處(処)女の誇りも自尊心も 路芝のごと蹂躙(ふみにじ)られて

 流れてメダンに入つた時 少女の心は

 茨(バラ)の棘(とげ)のように尖つてた 神(神)を恨み又自分を恨んだ

 彼女は吐息を毒瓦斯(ガス)と化し すべての人を殺さん事を願つた

 彼女の胸の焰(炎)は生物を煆(や)き盡(尽く)さんと祈つた

 木の香も高い墓標の上を 名も無い鳥が啼き

 護謨(ゴム)の枯葉が 音もなく落ちた

 あゝ「まあちゃん」よ お前の名を呼べば 涙がとめどなく流れる

*行李=竹や柳で編んだ箱形の物入れ。旅行にもっていく荷物などを指す

「からゆき」にまつわる多くの言説

「からゆき」にはさまざまな形態があり、多くの言説もある。研究者の中には「彼女たちはだまされ、汽船の船底の石炭倉に隠れて東南アジア方面に密航したといいならわされてきた」が「これらは神話であって、事実ではない。虚構である」とする見解=倉橋正直『従軍慰安婦と公娼制度』(2010年)=もある。

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「ほとんどの場合、彼女たちは外地で売春をして稼ぐことをあらかじめ承知して出かけていった。長崎港から合法的に出入国した」、「密航はたしかにごく少数、例外的に行われた」と同書は言う。

 山室軍平も「中には石炭の中に隠れて密航するものもないではないが、これは極めて少数で、大部分は官憲も見て見ぬふり、大目に通してやるのである」(『社会廓清論』)としている。ただ、既に見たように、日本政府は密航や「醜業」目的の渡航の取り締まりを繰り返し命じている。