数年前、同窓会があった際、同級生の男性が駆け寄ってきて、私に質問をしました。「ねぇ、内田さん、ずっと聞きたいと思ってたんだけど、内田さんの夫婦は別姓?」。突然の質問にびっくりしましたが、「うん、別姓だよ」と答えると(日本でも国際結婚の場合は別姓が認められます)、その男性は「すごい、感動した!」と笑顔を向けて、私になぜその質問をしたかを説明してくれたのです。

 1998年、私達が高校一年生のホームルームの授業の一貫で様々な社会の議題に関してディべートをする授業があり、その一つのテーマが夫婦別姓でした。ディべートの後、クラス全体でディスカッションする際、将来結婚した場合、自分は別姓にするか同性にするかという質問に対して、クラスの中で私一人だけが「別姓」と答えたそうでした。同級生に言われるまでは忘れていましたが、言われてみるとその授業のことが鮮やかに蘇りました。クラス内の議論の中で「別姓だと子どもがかわいそう」「別姓だと虐められそう」という不安が多く意見としてあがった一方で、私がアメリカで過ごした幼少期の友達の多くが別姓家庭であったこと、友人の親が別姓だったのを気にしたことがなかったこと、また、自分の氏名に宿るアイデンティティを結婚を機に捨てなければならない理由はない、キャリア形成においては改姓しない選択肢があることがいかにありがたいかなど、長々とスピーチをしたのを思い出しました。その同級生は、今でこそ夫婦別姓に関する議論を日常的には耳にする機会が増えたものの、そうではなかった当時の日本で、クラスで一人だけ別姓を支持した私が、本当に20年後に別姓で結婚をしていたことに感動したと笑顔で話してくれました。

 この同級生との会話を機に、今すぐに賛同を得られないことであっても、あるいは今は発言することで強い風当たりにさらされてしまうことがあっても、時代と共に人々の認識も変わり、長い時間を経て新しいコンセプトが理解されることもあると実感したのです。そして、未来へのインベストメントのためにさまざまな議論をすることに意義があると考えるきっかけにもなりました。この同級生との20年を介した会話にとても感謝しています。

「さあ、お気に入りの靴を履いてください!」

 今アメリカで言われているフレーズで気に入っているものがあります。

「女性の皆さん、お気に入りの靴を履いて下さい。11月にはガラスの天井が割れて、床がガラスだらけになりますよ」

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割れたガラス ©Unsplash

 実際このフレーズはいまアメリカでちょっとしたバズワードで、街中にこのフレーズを印字したビラが貼られたりという光景を目にするようになりました。今はまだ女性をはじめ社会での活躍を阻む目に見えない「ガラス」の存在を突き破れず、もどかしい思いをしている人が少なくないかもしれません。アメリカも例外ではありませんが、その破片が世界中に飛んでくれることを祈っています。日本の皆さんも、是非お気に入りの靴を履いて下さい。

 そしてそんな破片を見つける度に、何世代にもわたってその瞬間を可能にした人々の努力、隠れた「成功体験」の一つ一つに感謝したいと思うのです。

カマラ・ハリスの似顔絵が描かれたスニーカー