アベノミクスのブレーンで経済学者の浜田宏一氏が自身の躁うつ病体験、息子の自死について、浜田氏とつながりのある小児精神科医の内田舞氏と語り合った『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)。渡米前の浜田家の向かいの家に育ち、浜田宏一氏の子どもたちと幼少時の時間を共にした編集者が、夏目漱石の時代から変わらぬその心の葛藤を、そして人生の中で訪れる大きな災厄に見舞われたときのレジリエンスを本書の中に読む。必読の書評です。

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渡米前の浜田家とのつながり

 浜田宏一はアベノミクスのブレーンとして、経済政策を担った経済学者である。

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 本書は、宏一の長いうつ闘病をひもとく対談集であると同時に、未来を嘱望された学者が息子を亡くした苦悩の記録でもある。

 88歳になる宏一の対談相手に、ハーバード大学医学部の現役精神科医である内田舞が選ばれたのは、単にその職業によるものではない。舞の母・千代子は、娘と同じく精神科医。アメリカでうつを発症した宏一が頼ったのが、同じイェール大学にいた千代子だった。アメリカ人の主治医には語りきれない心の機微を、宏一は母語で打ち明けることができた。

浜田宏一氏(経済学者、イェ―ル大学名誉教授)

 筆者は、渡米前の浜田家の向かいの家に育った。宏一の子どもたちと幼稚園・小学校時代を共にし、海風の吹く庭で木に登り、空き地を走り回った。野生児たちを見守る宏一は、含羞をたたえた品のよい父親だった。

 浜田家には、欧米の学問生活のにおいがあった。宏一は、東大経済学部からマサチューセッツ工科大学を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの客員研究員となり、「ゲーム理論を国際間の経済政策の駆け引きに応用する」ことを研究主題としていた。

 高校生になるころ、子どもたちもまた欧米へと羽ばたいていった。そこに日本と変わらぬ暮らしがあることを、筆者は疑いもしなかった。だが現実は、おそろしいほど違った。

 終身在職兼付きでイェール大学に招聘され、英語で博士課程を教える立場となった宏一は、講義恐怖症から重度のうつを発症。のちに離婚を経験した。

 そして、26歳の息子を喪った。同じアメリカで。おそらくは同じ病気で。