花形は、店長に命じた。

「あの女、いいな。あの女、駅前のレインボーホテルに寝かせておけ」

 店長が、顔を引きつらせた。

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「あのォ……じつは、あの女は、わたしの女房なんです」

 花形の縁なし眼鏡の奥の眼が、変質的に光った。

「布団の上で太腿広げさせて待ってろよ」

 花形は、ビールをあおるや言った。

「関係ない!2時におれが行くから、布団に寝かせておけ!」

 店長は、苦しそうに顔を歪めている。

 花形は、テーブルの上の皿をポーンと空中に放った。

 落ちて来る皿を、右拳で叩き割った。皿が、粉々になって店中に飛び散った。店長は、震え上がった。

「勘弁してください……」

 花形の眼が、さらに光った。

 突然、花形は懐に持っていたジャックナイフを取り出し、テーブルに突き立てた。花形は、にやりと笑うと命じた。

「いいな!女をおれの言った場所と時間に、布団に入って待たせておくんだぞ。それだけじゃねえ、布団の上で太腿広げさせて待ってろよ」

花形敬が所属していた安藤組の組長・安藤昇 ©文藝春秋

鬼のように恐れられた花形には、ひどく優しい面もあった

 花形は、鬼のように恐れられていたが、反面、ひどく優しい面もあった。昭和25年の暮、花形は、自分を安藤組に入るよう紹介してくれた石井と、渋谷のマーケット『ポン五郎』の2階の飲み屋で花札にふけっていた。『ポン五郎』は、渋谷のテキ屋武田組の身内で、ヒロポン中毒の男が経営していたのでそう呼ばれていた。

 その飲み屋には、ヤクザや愚連隊が集まっては、花札をしたり、ヒロポンを打っていた。

 そこに、キャッチバー『くるみ』のホステスをしている千鶴子ともう1人の女性が、店を終えてやって来た。

 安藤の経営していたバー『アトム』は、三崎清次(みさきせいじ)が代わって経営を任され、キャッチバー『くるみ』に変えていた。

ズベ公の千鶴子

 千鶴子は、花形の妻であった。『陽のあたる場所』で美しさを見せつけたハリウッドのエリザベス・テーラーを彷彿(ほうふつ)とさせる美人であった。色の白い、艶かしい女である。小柄だが、乳房も尻もゆたかに盛りあがっている。『くるみ』では、ナンバーワンのホステスであった。彼女に、2万円ものべらぼうな勘定を取られても、懲りずに通ってくる客もいたほどである。

 千鶴子は、花形より1歳下であった。花形が明治大学に入って間もないころ、彼女と知り合った。彼女は、関東女学院の不良少女であった。が、花形の眼には、まわりのいわゆるズベ公とは、およそ違って映った。何より、美しいだけでなく、品のいい顔立ちをしていた。花形には、深窓の令嬢としか見えなかった。

〈どうして、こんな女がズベ公になったんだろう〉

 が、まわりの不良仲間で、花形に忠告する者もいた。

「敬さん、あの女、お嬢さんぶっているが、とんでもない女だぜ」

 しかし、花形は、忠告を受けたときには、すでに彼女に惚れこんでいた。彼女は、花形の前では、恥じらいの多い女性であった。花形には、彼女の恥じらいがまた、言いようのない魅力に映っていた。