昭和のヤクザ史に名を刻んだ“カリスマヤクザ”安藤昇。「安藤組」を立ち上げて昭和の裏社会と表社会を自由に行き来し、数々の伝説を残した。安藤組解散後は俳優に転身し、映画スターとして活躍。そんな安藤昇の一生を記した作家・大下英治氏の著書『安藤昇 侠気と弾丸の全生涯』(宝島SUGOI文庫)より一部を抜粋し、安藤が特攻隊に所属していたときのエピソードを紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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特攻に志願した安藤
昭和20年6月、安藤昇は、その期の第1回特攻に志願した。
15歳で感化院(編注:非行少年や非行少女の保護・教化の目的で設けられた施設)に入れられ、18歳で少年院に収監されるなど荒れた少年時代を送っていたが、予科練の試験に合格し、恩赦で退院。三重海軍航空隊に入隊後、海軍飛行予科練習生へ配属。特攻志願に合格し、いよいよ実戦部隊として横須賀久里浜(よこすかくりはま)の秘109部隊に配属された。別名『伏龍(ふくりゅう)隊』とも言った。
安藤ら隊員にも、この部隊がどのような性質のものか、どのような兵器をもって敵に当たるのか、まったく知らされなかった。
ただはっきりしているのは、確実に死が近づいてきていることであった。安藤は、しかし、信じきっていた。
〈日本は、かならず勝つ〉
自分は、その前に散華(さんげ)し、勝利の日をこの眼で見ることはできない。が、靖国神社に奉られ、靖国の森で、生き残った母や父たちから、勝利の日の報(しら)せを受けることがかならずできる。
『伏龍隊』の意味
やがて訓練に入り、『伏龍隊』の意味が理解できた。
安藤は、潜水服に潜水帽をかむり、波打ち際に潜った。竹竿の先に爆雷をつけ、上陸してくる敵の船艇を待った。
船艇が近づいてくると、下から竹竿を突き上げ、爆破させる。もちろん、自分も死ぬが、船艇に乗っている敵兵100人も死ぬ。1人で、武装した敵兵100人が殺せる。
もっとも、すでに特攻機すらほとんどなくなっているこの時期、このような原始的な特攻法しか残されていなかった。
つまり、安藤たち隊員が海に伏せた龍というわけである。