悲愴な顔をして遺言を書き始めた
まわりでは、悲愴な顔をして遺言を書き始めた。
安藤も、筆をとった。しかし、くどくどと心境を書く気にはなれなかった。辞世の句を一首だけ書いた。
《国のため捧ぐる命惜しからず空に散らすも海に散らすも》
人間、一度は死ぬのだ。同じ死ぬなら、そのあたりで野垂れ死にするより、御国のために命を捧げるべきだ、と信じていた。覚悟はできている。
安藤は、その辞世の句を手箱に入れた。
浜辺に出て、異様に赤い月明かりの下で、水盃(みずさかずき)を交わした。
安藤は、ぐいと呑み込みながら思った。
〈19年の短い命だったが、好き放題暴れてきた。それなりに、おもしろい人生だった……〉
ところが、30分くらいあと、敵が相模湾に上陸してきた、という情報が誤報であったことがわかった。
安藤は、肩すかしを食った気持ちになり、気抜けした。
しかし、すぐに思い直した。
〈今回はたまたま誤報だったが、明日にもアメリカ軍は本土に上陸してくるかもしれない〉
部隊の者たちが、下を向き、泣きながらテントに
8月15日、安藤は、午前中の訓練中、足の異様に長い、大きな蛸(たこ)を捕った。浜辺に上がると、テントの陰に紐を張り、そこに蛸の足をくくりつけ頭を下にしてぶら下げてきた。
安藤は、テントの下の日陰で、ついうとうととした。いつの間にか寝入ってしまった。
どのくらい時間が経ったであろうか。顔が焼けつくように暑いので眼を覚ました。あたりが、異様に静かである。聞こえるのは、浜辺に押し寄せる波の音だけであった。
〈おかしいな。みんな訓練しているはずなのに、そろって何処へ行ったんだろう〉
安藤は、一瞬、夢を見ているのかと思った。が、眼を凝らしてテントのなかを見た。朝の訓練中に捕った大蛸が、紐にぶら下がっている。干されてちょうど食べごろになっていた。夢ではない。
と、部隊の者たちが、下を向き、泣きながらテントに帰ってくる。安藤は思った。
〈誰か、死んだのかな……〉
「ラジオで陛下直々の放送があり、日本が……」
安藤は、帰ってきた1人を掴まえて訊いた。
「何があったんだ」
「日本が、負けた」
「負けた?」
安藤には、日本が敗れたということが、どうしても信じられなかった。いま一度念を押した。
「本当か」
「ああ、先ほどラジオで陛下直々の放送があり、日本が敗れたことを……」
そういいながら、ふたたびしゃくりあげて泣き始めた。