朝ドラ「ブギウギ」にも登場した「パンパン」と呼ばれた女性たち。敗戦後の日本に駐屯したアメリカ軍の兵士たちに体を売って生活していた女性をそう呼ぶ。その歴史について取材した牧野宏美さんは「キャンプ・ドレイクのあった朝霞市は基地の街だった。街娼が集まり2000人いたという記録もある。朝鮮戦争の後は少なくなったが、1975年ごろまで娼婦は存在していたという証言がある」という――。

※本稿は、牧野宏美『春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで』(晶文社)の一部を再編集したものです。

キャンプ・ドレイク〔写真=国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省/©地図・空中写真閲覧サービス 国土地理院/Attribution only license/Wikimedia Commons〕

朝霞基地の周辺にいた「パンパン」にかわいがられた男性の話

朝霞の米軍基地のそばで育った田中利夫さん(取材当時80歳)は、一見華やかに見えるオンリー(米兵に囲われる愛人)も含め、「パンパン」は蔑視の対象だったと感じてきた。家が女性たちの利用する貸席(料金をとって座敷を貸す商売)を営んでいた田中さん自身も、友人の親から「淫売屋」と言われたことがある。進学や就職がままならない娘が「オンリー」となり、家族の生活を支えていた家もあったという。

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「そういう家は暮らしぶりが急によくなるので、すぐわかります。近所の人たちは『あの家は娘にパンパンをやらせている』と陰口をたたいていました」。なかには米兵と結婚し、アメリカに渡った人もいたが、朝霞から出た後、消息がわからない女性も多くいる。

田中さんは市民らでつくる歴史研究会に勧められ、2014年頃から子ども時代の記憶を紙芝居にして、地元の人々に伝えるようになった。描いた絵は1000枚に及び、そこには赤や水玉模様の派手なワンピース姿の娼婦が頻繁に登場し、黒人兵のオンリーとなって豊かな生活をしていたベリーという女性などのエピソードを詳しく紹介している。「朝霞が娼婦によって潤っていたのは事実ですし、僕にとってはみんな優しくいいお姉さんでした。また会いたいです。だからお姉さんたちの名誉回復、というか、どんな人たちだったかをきちんと伝えたいと思っています」