千葉 『センスの哲学』のほうがひと呼吸置いて、読者に一回消化してもらって次に行く、というのがあるかな。『現代思想入門』のほうがもっとザーッと話を流している。僕の感覚としては、『センスの哲学』のほうがテンポが遅いですね。自分の持ってるノリと書き言葉をどうやってつなぎ直していくかは、長年かけて実験してきました。大学院時代には、先輩たちを意識して文章を相当直したわけです。それでかなり良くなったけど、それから時間が経って、以前のもっと野蛮だったときに戻っている感じもある。
濱口 それこそ文章の中に自分の身体性を、よりアップデートした形で、アカデミズムも通過した形で回復させる。
千葉 そう、通過した上で、高校時代とか大学1、2年生の頃にもう一回戻る。そういうことはあるんだと思います。
視覚的なイメージはどこから生まれるか
千葉 それで、聞いていた途中のことに戻ると、対話劇の重要性は分かった。じゃあ、人がいないような風景とか、それはどう考えてる?
濱口 これがまず苦手で。視覚的に何かを考えるのは、基本的にはすごい苦手だったんです。なので結局、対話によって展開される物語を引き連れている。例えば家の中でも、横浜の街の話をしているんだとすれば、横浜の町の実景をぽんと入れる。そういう因果的な発想でやってることが多かったんです。
視覚的なもので発想することができないから、そこで始めたのは、源流をさかのぼれば、神戸に住んで作った『ハッピーアワー』なんだけど、リサーチですよね。実際に視覚的なモチーフを発見する。発想ができないのであれば、実際にある、そしてそれを一体どういうポジションから撮るかということを、足で見つける。
千葉 取材に行くと。
濱口 『悪は存在しない』もリサーチでできているんだけれども、まず撮影地を決めるんですね。今回は石橋英子さんが実際に音楽制作されている場所にしようと。限定性がないと作れないから、石橋英子さんの音楽が生まれてる場所で撮ろうということを、まず考える。それから、地元のご友人を紹介していただいて、その人たちに話を聞く。その人たちに話を聞きながら、どんな暮らしをしているか、実際に連れて行ってもらう。そうすると、こういう所で暮らして、こういうことをやっているんですねと分かる。カメラマンと一緒にリサーチをしていたので、ここでこういうものが撮れるんじゃないかと話す。何を撮るかは、結局、視点が決定的なわけです。同じものでも、どこから、どの距離で撮るかによって全く変わってしまう。