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――左足をかばいながらの生活は続いていて、目に見えない障害を抱えながらの日常には苦労もあるのかと思います。

菅原 レッスン後、疲れたまま乗る満員電車はきついです。でも、目に見えない症状を抱えていらっしゃる方が多いのは「ヘルプマーク」を見かけるたびに思いますし、私自身はそれほど強く意識していません。

 一度、謎のおじいさんに後ろから付け回されたときに、大変さを感じたぐらい。走れないので、危ない人のフリをして奇声を上げたり、とっさに気持ち悪い動きをしたりで、難を逃れました(笑)。

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下半身を満足に動かせないなか、どのようにパフォーマンスしているのか?

――なかなか怖い……。ステージのパフォーマンスでは、身体の状況に合わせた見せ方も?

菅原 下半身を満足に動かせないので、上半身を大きく動かしています。会場によっては、ステージが低く客席の後ろから見えづらい場所もあるので、その場にいる全員にアピールできるように意識しているんです。

 初見の方には、病気だと分からないようにしたくて、がんが発覚する以前よりも全力で踊っています。ごまかしも効かなくなりました。

――今でこそ地毛が戻ってきたそうですが、一時期はウィッグを付けてステージに立っていたんですよね。

菅原 2023年1月に退院してから、1年ほどは付けていました。激しく動くと前髪が上がってくるし、取れかかるし。2024年1月ごろからは身体もだいぶ自由になってきて、首を振りながら踊っていたらウィッグが飛びそうになって、焦った日もありました(笑)。

ステージ上では、左足の後遺症を感じさせないようなパフォーマンスを見せる(筆者撮影)

ミニスカートを穿いて、左足の傷跡を隠さなくなった理由

――左足の傷跡を隠すために、衣装ではロングスカートを穿いていた時期もあったと。

菅原 人様に見せるべきではないと思い、ストッキングとロングスカートで隠していました。でも、ある日のライブで勇気を出してミニスカートを穿いてみたら、特典会でファンの方が「傷かっこいいじゃん、頑張った証しだよ」と言ってくださって。それ以来、隠さずに自信を持ってステージに立てるようになりました。

――がんになる前の自分と、今の自分を比べてしまうときもある?

菅原 あります。以前は「こんなに動けていたのに」とふと思ってしまうし、将来への不安もあります。30歳を超えてもアイドルを続けたいとは思うけど、いつか今いるグループを卒業する日が来るとしたら、次に雇ってくれるグループがあるのかなと考えてしまうんです。