実際このときも、母は「死んじゃろうか」と言った次の瞬間には、
「あんた、ここへ糸くずがついとるよ」
と、私の服についた糸くずを取ってくれましたし。母の頭の中では、娘の身だしなみを整えてやる母の顔と、自分がこの家で役に立たなくなったから消えてしまいたい、という絶望とが、混然一体になって同居しているのです。
結論から言うと、この日は結局、母は洗濯機を回す気になってくれませんでした。
洗濯機から汚れ物が…「うわあ、くさいねえ」
私からせっつかれてしぶしぶ、洗濯機から汚れ物を取り出して、床にばらまいてゆく母。汚れた衣類は、手品かと思うほど後から後から出てきます。
「うわあ、くさいねえ」
そのにおいと膨大な量にやる気をなくしてしまったのか、
「私もねえ、たいぎいんじゃ。ほんまのとこはね」
そう言いながら、母はなんと、廊下一面に広がった洗濯物の山の上に寝転がってしまったのです。そしてそのまま動かなくなってしまいました。
「えー、お母さん、そこに寝るんね?」
私は混乱しました。目の前の光景に、というより、その光景を目にした自分の中から湧き上がってくる、相反する二つの感情に、混乱したのです。
それは、初めて体感した、娘としての自分と、ディレクターとしての自分の感情のせめぎ合いでした。娘としては、母のこんな痛々しくてだらしない姿は、恥ずかしくてとても人様にお見せできるものではありません。でも、ディレクターとしては、これは凄い映像です。こんなにリアルでインパクトのある映像はなかなか撮れないぞ!私はカメラを回しながら、興奮が抑えられなくなっていました。
いろんな思いが頭の中をグルグルと駆け巡ります。母がこんなあられもない姿をさらしているのに、私は何で手を差し伸べようともせずにカメラを回しているんだ?なんてひどい娘だろう。自分自身でひどいと思っているくらいだから、世間の人もきっとひどいと思うだろうな。これを番組で使ったら炎上するかもしれないな……。
でも、そう思いながらも、ディレクターとしての私はやはり、「よっしゃ!ドキュメンタリーの神様が来たぞ!」(これは私の口癖)とばかりに、目の前の異様な光景にロックオンし、我を忘れて撮影し続けていたのです。いやはや、業が深いというか、娘としては本当に恥ずかしい限りです。