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 不思議で仕方なかったのですが、そのうちに気づきました。おそらく父は、母が元気なうちは「専業主婦の鑑」のような母に何もさせてもらえていなかっただけで、どんなふうにゴミを捨てているかを、ちゃんと見ていたんだと思うのです。もともと好奇心が強い人なので、「ほう、ペットボトルはそうやって捨てるんか。わしもやってみたいのう」という気持ちもあったんじゃないでしょうか。

 自分がゴミ出しの采配を振るえるようになって、なんだか父、ちょっと楽しそうなんですよね。父と母の血を引いている娘としては、「ゴミを分別するのは、ゲーム感覚で楽しいのう」と思っているだろう父の気持ちも、なんとなくわかるんです。

 もう最近(2019年)は、父は私が帰省している間じゅう私の動向に目を光らせていて、ちょっとゴミが出ると、

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「これはビニールじゃけん、こっちに捨てんさい」

「これはちゃんと中身を洗うてから裏庭に出しとって」

 と指図してきますもんね。私は「言われんでもわかっとるよ」と心の中では思っているのですが、もはや父は我が家の主夫ですから、父を立てて「はい、はい」と従うことにしています。

父は、母が家を守る姿をちゃんと見ていた

 しかし考えれば考えるほど、本当に父は、母が家事をする姿をちゃんと見ていて、尊重していたんだなあと思います。だって、母が認知症になっても、信友家のたたずまいは基本的に何も変わっていないですから。娘の私にとっては今も、子供のころに過ごしていた懐かしい空気のままの家なんです。

 なぜ変わらないのか?

 それはひとつには、認知症になってもこの家を今まで通りに守りたいという、母の主婦としての執念もあるでしょうが、父が、母の家を守る姿をちゃんと見ていて、それをそのまま受け継いでいるから、というのも大きいと思います。

映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』公式サイトより

 洗濯物の干し方、洋服の畳み方、洋服のしまい場所、食器棚の食器の位置、台所の調理器具や調味料の配置……。家の中の細部も、父が家事を肩代わりするようになってからもほとんど変わりません。父はそれだけ、母の積み重ねてきた努力を尊重し、母の存在そのものを尊重しているのです。

 親をほめるのは気恥ずかしいですが、私は、父を見直しました。

 ついこの間まで家事なんて全くやったことがなかった老人が、つれあいの調子が悪くなったら、文句も言わず何でも代わりに、つれあいのやっていた通りにやってやる。自分も90代半ばなのに!これはすごいことです。妻がピンチに陥ったからと言って、体を張ってここまでやれる90代の夫って、そうはいないんじゃないか?