母は元気なころは、父のことを「堅物」だの「おもしろみがない」だの、言いたい放題言っていましたが、実はすごくいい男をつかまえていたんじゃないか、ものすごい当たりくじをひいていたんじゃないか、とさえ思えてきました。人生の最終コーナーにさしかかって、しかも自分がぼけ始めた今ごろになって、「当たり」だったと判明するのもちょっと遅い気もしますが、いずれにしろ晩年をこんな父と過ごせる母は、本当に幸せ者だと思います。
家族が認知症になったからこそ気づけたこと
そして、私も。
私は典型的な「母っ子」だったので、母が認知症になるまでは母とばかり喋っていて、父の存在はほとんど眼中にありませんでした。父は昔から寡黙で、家では本ばかり読んでいる人でしたから、「父のことが好きか?嫌いか?」ということすら考えたことがないくらい、私の中では父の存在感は薄かったのです(50年もそんな状態だったというのは、本当に父には申し訳なかったです)。
だけど母が認知症になってからは、必然的に大事なことは父に相談するしかなく、話してみると案外、父は家長として家族を守る意識をすごく持っているし、病気の妻のことはいたわってやるし、自分も超高齢で大変なはずなのに滅多に弱音は吐かないし、なんて男気にあふれたいい男なんだ、と遅まきながら気づくようになりました。
こんないい男を、50年も自分の中で空気扱いしていたわけですから、私も「男を見る目がないねえ」と言われても仕方ないと思います。反省です。
そう言えば、「Mr.サンデー」で初めて父と母のことを放送したとき、何人かの友人から、
「信友さんのお父さんみたいな人と結婚したいわ。夫としては理想のタイプよね」
と言われて、そのころはまだまったく意味が分からず「へっ?」と笑ってしまった私ですが、今だったらわかります。父みたいな人を、本当に「いい男」と言うのかも。
50年以上かかってしまったけれど、父のよさに気づけて、本当によかった。
母が認知症にならないまま、もし父が先に亡くなっていたら、私が父のよさに気づくことは、おそらくないままだったでしょうから、もしかしたらこれは、認知症がくれたギフトなのかもしれません。そう思うと、家族が認知症になるということも、あながち悪いことばかりじゃないんだな、新しい発見やよいこともあるものなんだな……。今はそういうふうにも思っています。