1ページ目から読む
2/4ページ目

河合隼雄への反発

 東畑 「まずは雑巾がけ」は、「習うより慣れろ」「まず形から入れ」といった日本文化論に通じているんでしょうかね。

 千葉 ちょっとそういうところがある話かもしれない(笑)。

 東畑 昔から「霊的世俗性」に意識的だったのでしょうか?

ADVERTISEMENT

 千葉 生まれ育った家庭環境がそういう感じなんだと思います。まず超越性を求める宗教がない。ないといっても完全に否定しているわけではありません。お正月やお盆といった、節目節目の年中行事は大事にしていました。だから、僕がテーマとしてきた「霊的世俗性」は戦後の日本の中産階級の生活から来ているのでしょう。

 東畑 歳を取って、そこに回帰したのではなくて、ずっとそういう感じなんですか?

 千葉 そこに批判意識がないわけではないんですが、基本的なあり方としてはそういう感覚がベースだと思います。

 東畑 僕は変遷している人なんですよ。大学生ぐらいのときには、そういう世俗性に反発があって、それで中年になって戻ってくるという感じがしていて。千葉さんはそうではなかった。

 千葉 反発もあったけれど、今述べたような生活感覚は基本的なものだったと思います。

 東畑 具体的に僕の場合は、河合隼雄問題なんですね。僕にとっての90年代は河合隼雄の時代で、その日本文化論にとても惹かれながらも、同時に反発も覚えていたんです。たとえば、河合隼雄の箱庭療法です。

 箱庭療法は、クライエント(患者)に砂を敷いた箱庭に動物や植物などの玩具を置いてもらって自己表現をしてもらうやり方です。西洋の箱庭療法だと、自分が抱えている葛藤を表現して、葛藤する気持ちを戦わせることで、心の問題を解決していくんですけど、日本では葛藤を対決にまで高めることなく、それぞれの要素を美的に調和させていく傾向があった。そのことを河合隼雄は、「日本人は葛藤を美的に解決する」と表現しました。

 これは非常に面白いことなんですけど、同時に自分の世代だとそういう日本的感性みたいなのがリアルじゃなくなっていく感じがあったんですよね。若いと、主知主義みたいになっているんで、そういう雑巾がけ的なものがしっくりこない。

東畑開人氏 ©文藝春秋

 東畑 でも、精神科のデイケアなどで実際に働いていると、みんなでお花見に行って、きれいな桜を見て、一緒に食事すると心が修復されるのを実感してくるようになるんです。確かに河合隼雄は正しかったな、という感じにだんだんなってきました。それは生活の美的な次元がいかに得難いことであるかという感覚ですね。

 千葉 それはわかります。

 東畑 本当ですか。