NHK連続テレビ小説『虎に翼』が最終回を迎える。日本初の女性弁護士のひとりである三淵嘉子をモデルにした「佐田寅子」(演:伊藤沙莉)が主人公の物語。彼女の人生で出会ったいくつもの事件や社会的な出来事を、リアルに詳細に描いているのが視聴者を引きつけた。
その多くは実際にあった事件や出来事で、裁判のシーンなどは、実際の判決文をそのまま生かしたケースも。そのいくつかを新聞記事や資料から振り返ってみよう。当時の新聞は見出しのみそのまま、本文は適宜現代文に手直しする。現代では差別語とされる表現も登場する。文中敬称は省略する。(全5回の2回目/はじめから読む)
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2. 1939(昭和14)年「チフス饅頭事件」:寅子らが学園祭の法廷劇に取り上げた
「寅子」が学んだ「明律大学女子部」の学園祭で、実際の判例を基に筋書きを考えた法廷劇を上演した。これは「昭和事件史戦前編」で取り上げた「チフス菌饅頭事件」が元だった。女医が学費を貢ぎ続けて博士号を得た夫に裏切られ、チフス菌入りの饅頭を送って、食べた十数人が発症。夫の弟が死亡した事件。女医は実刑となったが、世間の同情を集め、減刑嘆願まで出たという。法廷劇の上演は男子学生の妨害で中断されたが、当時、事件が大きな話題になったことが分かる。
3. 寅子が判事として担当した少年・家庭事件
三淵嘉子は自分が担当した事件について具体的なことはほとんど書き残していない。実際もドラマと同じく、戦後、家庭裁判所の立ち上げに加わり、その後東京地裁や名古屋地裁の判事、新潟、浦和、横浜の家庭裁判所所長を歴任。数多くの家庭・少年裁判を担当したが、判決文が残っているものもわずかだ。
三淵嘉子の家庭や少年に対する姿勢
ただ、その判決文や、出席した座談会での発言などから、彼女の家庭や少年に対する姿勢がうかがえる。一例が1950(昭和25)年2月28日、東京地裁で判決が言い渡された損害賠償請求事件で、内容はチフス饅頭事件とも印象が重なる。判決文を基に事件を見よう。
〈原告女性は1946(昭和21)年7月ごろ、福島県の国鉄(現JR)郡山駅から列車で上京の途中、車内で被告の男と知り合った。その際、男は「東京帝国大学(現東大)理工科を卒業した」と身分を詐称。「近々東京に行くからよろしく頼む」と言ったので、女は住所を教えて別れた。その後、男は2~3回、女を訪問。同年9月24日夜、女に「大学を卒業して応召。将校になって満州(中国東北部)に駐留していたが、終戦後、飛行機で帰国した。現在、京都帝国大学(現京大)理学研究生だ」などと、虚構の事実を語った。服装や徽章で誤信させ、結婚の意思がないのにあるかのように装って結婚を申し込み、女を錯誤に陥らせて婚約させ、情交関係を結んだ〉
*応召=在郷軍人が召集に応じて軍隊にはいること