NHK連続テレビ小説『虎に翼』が最終回を迎える。日本初の女性弁護士のひとりである三淵嘉子をモデルにした「佐田寅子」(演:伊藤沙莉)が主人公の物語。彼女の人生で出会ったいくつもの事件や社会的な出来事を、リアルに詳細に描いているのが視聴者を引きつけた。
その多くは実際にあった事件や出来事で、裁判のシーンなどは、実際の判決文をそのまま生かしたケースも。そのいくつかを新聞記事や資料から振り返ってみよう。当時の新聞は見出しのみそのまま、本文は適宜現代文に手直しする。現代では差別語とされる表現も登場する。文中敬称は省略する。(全5回の3回目/はじめから読む)
4. 「寅子」が判事として担当した原爆裁判の真実とは
『虎に翼』の「寅子」にとって印象深い仕事は「原爆裁判」だった。右陪席判事として最初から最後まで審理を担当。被爆者の訴えにも耳を傾けた。モデルの三淵嘉子にとっても大筋で同じだっただろう。ドラマでも後半のヤマ場になっていた。被爆者が国を訴えることなど、当時は誰も考えなかった。
それを提訴にまで漕ぎ着けたのは、ドラマでは「雲野六郎」弁護士(演:塚地武雅)。彼には実在の2人の弁護士の姿が投影されている。1人は戦前、戦後を通じ社会派、人権派として知られた海野普吉。もう1人はドラマと同様、第1回口頭弁論を待たずに死去した岡本尚一弁護士だ。そして、この原爆裁判は、岡本弁護士を通して東京裁判(極東国際軍事裁判)=1946年5月3日~1948年11月12日=と密接な関わりを持っている。
三重県出身で大阪弁護士会所属の岡本弁護士は、東京裁判でA級戦犯となった元陸軍省軍務局長・武藤章中将(東条英機・元首相の腹心とされ絞首刑に)の主任弁護人だった。武藤の弁護を引き受けたのは、大学の恩師だった清瀬一郎・弁護団副団長(のち衆院議長)の依頼だったことを後年、清瀬が認めている。その東京裁判では弁護側から原爆投下の問題が提起された。『極東軍事裁判速記録第4巻』(1968年)や清瀬の『秘録東京裁判』(1967年)、冨士信夫『私の見た東京裁判』(1988年)によると、やりとりはこうだ。