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千茱萸 小さかった私にとって「よーい、スタート」は世界の始まり。「カット」は、もう一回最初から世界が始まる魔法の言葉だったんです。

恭子 「よーい、スタート」ってやってましたね。

千茱萸 撮影現場と映画館が私にとっては学校以上に人生の学びの場でした。学校の教科書よりも映画を見ていたから。

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恭子 『ドラキュラ』の時はもう監督はCMの仕事をしていたから、完成までに1年ぐらいかかっているんですよ。毎週金曜日の夜にうちにみんな集まって、土曜日の明け方から出かけていって、土日撮影するみたいな。

最後の自主映画となった『CONFESSION』

―― 次が『CONFESSION=遥かなるあこがれギロチン恋の旅』(注1)ですね。

恭子 あれは尾道なんです。初めて尾道で撮影をしたのが『CONFESSION』ですね。みんなを連れて尾道に行って撮影しました。

『CONFESSION』 ©大林宣彦事務所

千茱萸 この間、『尾道』という8ミリ(注2)を見直したけど、あれが最初じゃない?

恭子 ああ、『尾道』があるわね。

―― ありましたね。恭子さんがヒロインみたいなポジションで。

恭子 監督の8ミリに出た初めてだから。

千茱萸 『尾道』はそもそも、監督がお父さんから譲り受けた8ミリキャメラを使い、自分の育った尾道をスナップ的に撮影した断片的なフィルムがあったものの、しばらく放置されていました。その後、上京して成城大学で恭子さんと出会い、恭子さんを連れて尾道へ行き、街の風景を切り取りながら撮り足し、モンタージュして作った作品ですね。

恭子 フェリーに乗って撮ったのを思い出す。

©藍河兼一

―― すごく自然な恭子さんが映っています。大林さんに案内されて尾道を回っている感じがしました。

恭子 いつも持って歩いてました。

千茱萸 振り返ると、『HOUSE/ハウス』に至るまでの自主映画時代、CM時代の監督は日常的に8ミリや16ミリカメラを回していました。どこに行くにも傍らに抱えて、息を吸うようにシャッターを押して。

―― 大林さんにとって撮影は一定期間の中でやるものでなく、常にあるものだったんですね。話を『CONFESSON』に戻しますと、この作品は個人映画の最終作というつもりで撮られたそうですね。

恭子 コマーシャルがすごく忙しくなっちゃって、1年間のうち半分は外国みたいな生活になっちゃって。