妨害する東宝の組合を説得した岡本喜八監督
千茱萸 『HOUSE/ハウス』がなぜ商業映画として成立したかというと、例えば当時メディアミックスという宣伝の仕方が始まっていました。角川春樹さんに代表されるような戦略です。『HOUSE/ハウス』も、それはもう多くの仕掛けをしました。映画公開前にラジオドラマを仕込んだり、マンガにしたり、日比谷の町中では1台の車に7人のハウスガールズが乗り込み、さらに何人乗れるかを競うイベントしたり……。
一方、日本映画が斜陽になっていく時代背景の中で、監督はコマーシャルを作るために東宝撮影所の一番大きなスタジオやプールを借りて、映画より潤沢な予算を預かりコマーシャルを撮っていたため、撮影所にとってはよいお客さんでもあった。ただ、それが映画を撮るとなると話はまた別で、当時組合が強かった東宝では、コマーシャル上がりの監督に映画なぞは無理だとピケを張られたこともありました。門が閉ざされバリケードが組まれていて、組合が「大林さんを入れるな。よそ者を入れるな」と言っていた。それまでは私もコマーシャルの現場によく遊びに行っていたので門番の守衛さんとも仲が良く、遊びに行くと「あっちでお父さん撮影してるよ」と通してくれていたのに、映画を撮るとなったら、いきなり門を閉じられて……。ところがその門を開けてくれたのは、いまは有名な話ですが、岡本喜八さん。岡本喜八さんが、「自分たちが作る映画は残念ながらいま受け入れられない。ならば、大林さんみたいな新人に映画界に新しい風を入れてはどうか」と組合を説き伏せて下さった。もしあのとき喜八さんをはじめ幾人かの方が行動を起こして下さらなかったら、東宝が門を開けなかったら、『HOUSE/ハウス』は誕生しなかったかもしれないですね。
―― 大林さんという先例があったから、僕たちは自主映画監督が商業映画に進むことができると思えた。大林さんの時代には、そういう発想自体がなかったんですね。
注釈
1)『CONFESSION¬=遥かなるあこがれギロチン恋の旅』(1968 16ミリ 70分)尾道を舞台に青春との惜別を描いた大林監督の個人映画最終作。
2)『尾道』(1963 8ミリ 17分)撮り溜めていたフィルムをまとめた作品。
3)桂千穂 脚本家。大林作品では『HOUSE/ハウス』『廃市』『ふたり』『あした』『花筐』などを担当。