瀬戸 はい。北野さんが退社されたので、やってみたいと手を上げました。
――では、世古さんと違って自ら志願されたと。ということは、入社時から将棋を担当したいという気持ちがあった?
瀬戸 いえ。それまで将棋はほとんど知らなかったんですけど、入社して北野さんが書く文章を通して好きになりました。
――ということは、入社時は別のことを志望されていたんですか。
瀬戸 学生時代は落研(落語研究会)に入っていたので、お笑いの記事を書きたいと思っていました。お笑いにかかわる仕事だったらなんでもいいという就活スタイルで、巨人も好きだったので、報知新聞社のインターンに行ったら「お笑いの仕事もできるよ」と言われて志望しました。
「やりたいならやってみな」って感じで…
――それで入社当初は、どういった取材をされていたんですか?
瀬戸 入社当初はコロナだったこともあり、毎日のように都庁に行って小池知事の会見を取材していました。都庁担当みたいな感じでしたね。
――お笑いではなく。
瀬戸 私が配属になった文化社会部というのは文化班と社会班に分かれていますが、社会班に配属になったので……。
――そういった記者生活をするなか、北野さんが移籍されたと。
瀬戸 将棋はずっと北野さんが担当されるから、その席は空かないものだと思っていました。それが突然空いたので、じゃあその世界を見てみたいなと。
――上司の方の反対などはありませんでしたか。
瀬戸 会社的にも北野さんが辞めるとはまったく思ってなかったようで「え? 将棋どうするの?」みたいな感じだったので、「やりたいならやってみな」って反応でしたね。
将棋教室に6年通って勉強、自らは豊島九段に倣い「居飛車党です」
このように、図らずも将棋記者になった世古さんと、自ら志願してなった瀬戸さん。対照的ともいえる第一歩だが、二人とも将棋の知識があまりないことは共通していたようだ。専門性が高い将棋の世界だが、どうやって勉強をしたのだろうか。
――世古さんは、将棋記者を始めたとき、将棋の知識はどのくらいあったんですか?
世古 この直前に教育報道部という子ども向けの紙面を作る部署にいたこともあり、「どうぶつしょうぎ」はアプリでやってたんですけど、勝率1割(笑)。それもあって将棋は向いてないと思っていたんです。
――1割はつらいですね(笑)。
世古 負けて悔しいから100回くらいはやったんですが、勝てませんでした。
――そこから、どうやって将棋の勉強をされたんですか?
世古 2018年の2月から中澤沙耶女流二段が、名古屋市で女性向けのセミナーを始められたので、部長から「ちょうどいいじゃないか行ってこい。ただし1年後には連載を書け」といわれ、週1回通うようになりました。
今でも覚えていますが、最初の対局は打ち歩詰の二歩をしました(笑)。反則も知らなかったし、駒の動かし方も金と銀がごっちゃになっている状態でした。でも中澤先生がいつも楽しくをモットーに教えてくださり、今年の8月に異動するまで6年半ほど通っていました。中澤先生には本当に感謝しています。
――すてきな場所に出会えたんですね。
世古 継続してモチベーションを保てたのは、この教室のおかげでした。あと豊島先生の棋譜を追い続けることで勉強をしました。
――世古さんのプロフィールに「豊島番」とありますね。東海地域の有名棋士といえば、藤井聡太七冠と、豊島将之九段。それゆえ担当になられた?