――その後から現在まで、ゆりかごに対する国の姿勢をどのように見ていますか。
ゆりかごが開設されてから退任する2014年まで、ゆりかご運用の報告のために毎年厚労省を訪ねていました。そのたびにゆりかごに関与してほしいと要望してきました。具体的には、検証部会に参加してほしい、議論に参加することが難しいなら、オブザーバーでもかまわないと提案しましたが、それは私が退任した後も現在まで実現していません。
しかも、2010年から2年半の民主党政権の間も変わりませんでした。せいぜい変わったことといえば、安倍政権の頃には面会対応したのは厚労省の局長か課長でしたが、民主党政権になってからは鳩山内閣の山井和則政務官と野田内閣の西村智奈美厚労副大臣が応対されたぐらいのことでしょうか。自民党とは異なり政治家が対応してはくれましたが、ゆりかごに対する基本的な姿勢は自民党と変わらなかったということです。
なぜ親を探す社会調査を始めたのか
――アメリカでは、例えば人工妊娠中絶を認めるかどうかの問題は共和党と民主党の争点のひとつです。
日本では、ゆりかごの議論の際、人工妊娠中絶の問題は争点になりませんでした。もちろん、ゆりかごも政治の争点になりませんでした。ゆりかごに預け入れられる赤ちゃんがいるという厳しい現実への関心が低いのは、与党も野党も同じだと私は思います。
――日本初の赤ちゃんポストとなった「こうのとりのゆりかご」では、運用開始に当たり、児童福祉法に基づいて、児童相談所がゆりかごに預け入れた親の身元を探す社会調査を実施する判断をしました。
これは熊本市が決めたものではありません。当時の状況を説明します。運用を開始する際、ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんは児童相談所に一時保護されるというルールをつくりました。しかし、2007年当時、熊本市には熊本県の運営する熊本中央児童相談所しかありませんでした。
そのため、実際に預け入れられた赤ちゃんの一時保護やその後の乳児院への移管など、慈恵病院から赤ちゃんを受け渡されたあとの実務は熊本中央児相の管轄でした。私も県にお任せしていました。