端的に言えば、ゆりかごに預け入れられた赤ちゃんであっても、ほかの遺棄児のケースと同様に児童福祉法に則って社会調査をして親を探す、というルールをつくったのは熊本県です。でも、当時、そのことを決めるに当たっては、熊本県の担当者は大変悩まれたと聞いています。(*熊本市は2010年に熊本市児童相談所を設置)
親の匿名性を守るか、出自を知る権利を守るか
正直に言えば、慈恵病院に病院改築許可を出したあのとき、私自身、社会調査をするかどうかという点にまでは考えが及んでいませんでした。ただ、私も社会調査はしなくてはならないという考えでした。
今も、子どもにとって出自を知ることは大事だという思いはあります。探した結果わからなかったのは仕方がないとしても、最初から探さないのが果たしてよいことなのでしょうか。
――ゆりかごの運用を巡る検証報告書には、第1回から最新の第6回まで一貫して「匿名性は容認できない」と記されています。市長としての幸山さんも同じ考えだったのでしょうか。
矛盾するようですが、私はそうではありません。赤ちゃんポストの設置を許可するということは、匿名での預け入れを認めるという意味です。匿名性を認めないのであれば赤ちゃんポストの要件を満たさないことになります。ただ、だからといって、親の身元を探さないでいいのか。それよりも、できる限り親と接触して、相談につなげることが大事ではないかと考えていました。
孤立した女性の立場を考えられていなかった
――現在も同じ考えですか?
ゆりかご設置を許可したあのとき、預け入れる女性の背景を考えることができていたかと問われれば、私にも反省すべき点があります。たとえば、検証報告書の見出しにもなっている「安易な預け入れ」という言葉。これを最初に使ったのは私だと思います。
赤ちゃんポストという機能によって、救われる命があるのか、それとも安易な預け入れによる遺棄を助長するのか、対立点を明確にするために使ったワードでした。でも、今振り返ると、安易な預け入れという表現は、ゆりかごに預け入れなくてはならないほどに孤立した、あるいは追い詰められた、女性の立場について考えられていなかったと思います。女性への視点が足りなかったことは率直に認めなくてはなりません。