義母の認知症が8年前に始まり、義父も5年前に脳梗塞で倒れた。仕事と家事を抱えながら、義父母のケアに奔走する日々が始まった――。
ここでは、翻訳家でエッセイストの村井理子氏が綴った超リアルな介護奮闘記『義父母の介護』(新潮新書)より一部を抜粋。美人で完璧だった義母(当時76歳)が認知症によって変わっていく様子を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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義母が同じ服ばかり持って来る
義父が脳梗塞で搬送された総合病院からリハビリ専門病院に転院したのは、2019年9月終わりのことだった。入院していた義父のもとに、1日も欠かさず通い詰めた義母だったが、「車の運転に自信がない」といい、駅前からバスに乗って行くようになっていた。病院から次々と言い渡される手続きや、義父の介護認定を行うためのケアマネとの折衝など、義母はそのすべてを「わからない」といい、私と夫で担うようになっていた。
家から着替えを運ぶはずの義母が、「同じ服ばかり持って来る」と義父は連日怒っていた。セーターやコートや靴下ばかり持って来て、肝心の下着やタオルを持って来ないというのだ。病室のロッカーに詰め込まれた何枚ものセーターを私に見せ、義父はますます怒りを露わにした。
リハビリ病院に転院するまえにしばらく入院していた総合病院でも、同じことは起きていた。頼んだものを持ってきてくれないと義父が訴え、義母の代わりに夫や私が持って行くようになった。義母は、夜になるとわが家に電話をかけてきては、「庭を誰かが歩いている」と訴えたかと思えば、「お父さんの生命保険の証書がない。あなたが盗んだ」と夫を責めることもあった。
「ここにあったお金がない」と疑いの目を向けられ…
私に対しても、「ここにあったお金がない」「テレビのリモコンを持って行ったでしょう?」と疑いの目を向けた。この頃にはもう、私たち夫婦のなかには確信めいたものが生まれつつあった。義母は認知症なのではないか、ということだ。
当時の義母のメモにはこうある。
車のキーをどこかにかくして(保管のつもりが)出てこない。
つらい つらい つらい!
義母から夫に、「車の鍵がどこかへ行ってしまった。あなたが持って行ったでしょ」と聞く電話の回数が格段に増えた。「これはもう、まずいことになってきたよ」と言う私に、夫はまだ信じられないような表情をしていた。義母の状態は、それほどまで突然に悪化の一途を辿ったのだ。