義母の認知症が8年前に始まり、義父も5年前に脳梗塞で倒れた。仕事と家事を抱えながら、義父母のケアに奔走する日々が始まった――。

 ここでは、翻訳家でエッセイストの村井理子氏が綴った超リアルな介護奮闘記『義父母の介護』(新潮新書)より一部を抜粋。当時76歳だった義母に訪れた“異変”とは?(全2回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージ ©moonmoon/イメージマート

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「切符の買い方がわからない」

 些細な事件が続いていたある日、義母に「JRの切符を買ってきて欲しい」と電話で頼まれた。

「JRの切符って、駅で買う切符のことですか?」と、思わず聞いた。切符なんて、駅で購入すればいいのでは? もしかして、特急列車にでも乗るの? そう思った私は「どこまで行くんですか?」と聞き返した。すると義母は、「大阪のお茶会に行くんだけど、切符の買い方がわからないのよ」と答えた。大阪だったら、普通に切符を買えばいいではないか。そのうえ、義母はICOCA(西日本旅客鉄道発行のICカード乗車券)を利用していた。

「お義母さん、ICOCAを持ってますよね? 足りなかったらチャージしたらいいじゃないですか」

 そう返答した私に義母は「そうね」と言い、それ以上は頼まなかった。このときも、何かおかしいと思いつつ、「券売機が新しくなったりして、わからなくなったのだろう」と解釈した。結局このときは、長年の習い事仲間のMさんにお願いして、大阪まで連れて行ってもらったようだった。

「女将さんがお皿を間違えるのよ」

 大阪行きの切符購入依頼からしばらくしてのこと。夫の実家を訪れた際に、義父母が営む和食店のアルバイトのモモコさん(70代)がこそこそと私に、「女将さんがお皿を間違えるのよ。何かおかしい。ちょっと心配」と言った。周囲をきょろきょろ見回しながら、「お疲れなのかもしれないけどね。ちょっとお伝えしておこうと思って」と、付け加えたのだった。

 こういった証言は、アルバイトに来ていた女性たちだけに留まらなかった。長年のお茶仲間で大阪行きの切符を手配してくれた友人Mさん、20年以上も義母の茶道教室に通う生徒のAさん、義母が30年近くお世話になっている美容院のオーナーYさん。ある人は私にメールをくれ、ある人はSNSを通じてDMを送ってくれ、ある人は私のケータイに直接連絡をくれた。誰もが義母の異変に気づき、心配していたのだ。

「何かがおかしいのよ……」と、誰もが決定的な言葉を言わず、それなのに何かを疑うような口ぶりだった。その何かとは、加齢によるもの忘れのことだと徐々に私は気づいていった。