何回読んでも、社会保障の財源を語る文脈のなかで終末期医療の見直しと尊厳死の法制化に言及している。これは誰も否定はできまい。玉木代表をいくら擁護しようと試みても、言い間違えレベルのものではなく、確固たる信念に基づいたポリシーを述べたものであるとしか解釈し得ない。
政策パンフレットに堂々と明記している
「若者をつぶすな」との勇ましい言葉を掲げての高齢者医療、終末期医療の見直し、これぞまさに、高齢者を若者の生活に負担と迷惑をかけている象徴として攻撃目標にすえ、若者そして現役世代の票を獲得することを目的とした発言だ。
同党の政策パンフレットにも「現役世代・次世代の負担の適正化に向けた社会保障制度の確立」との大項目のなかに「(13)法整備も含めた終末期医療の見直し」という小項目が立てられており、そこには「人生会議の制度化を含む尊厳死の法制化によって終末期医療のあり方を見直し、本人や家族が望まない医療を抑制します」との記載がある。
やはり党首討論での玉木代表の主張は言い間違えなどではなかったのだ。「尊厳死の法制化によって終末期医療のあり方を見直す」のは、やはり「現役世代・次世代の負担の適正化」のためだったのである。
こうした政策が、社会にとって役立つ者を「優」としそれらに負担をかける者を「劣」とする人の価値に優劣をつける思考に依拠するものであることは、誰の目にも明らかだろう。この思考に基づいた政策こそが、もっともわかりやすく「優生思想」を見える化したものなのである。
現場医師からすれば大迷惑の“不勉強な政策”
さてここで言及されている「人生会議」というのは、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)のことである。拙著『大往生の作法』(角川新書)は、その一冊を通じてACPについて解説したものであるが、ACPの有用性を説明する一方で、それが内包する危険性についても詳述している。
ACPとは、日本医師会の資料によれば「将来の変化に備え、将来の医療およびケアについて、本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセスのこと」とされている。