2022年、日本の文化や社会について論じた本が韓国でヒットした。「日本という鏡を通して韓国を知る」ことを目的に書かれた本だ。
東京で18年間暮らした経験を持つメディア人類学者の金暻和さんによって書かれたその本は『韓国は日本をどう見ているか メディア人類学者が読み解く日本社会』(牧野美加訳/平凡社)というタイトルで日本でも刊行された。ここでは本書より一部を抜粋して紹介。
日本の「うち」と韓国の「ウリ」の違いに見る、それぞれの文化の違いとは……?(全4回の1回目/続きを読む)
◆◆◆
日本社会が、有名芸能人夫婦の不倫スキャンダルで騒がしい(編注:執筆当時)。爽やかなキャラクターで人気のあった男性お笑い芸人が15歳年下の有名俳優と結婚したところまではよかったが、結婚生活もまだやっと3年を過ぎたばかりの時点で、複数の女性と不倫していた事実が週刊誌で報じられたのだ。人気芸能人にまつわるドロドロ愛憎劇のような実話に、放送業界もSNSも大騒ぎとなった。不貞を働いた本人は過ちを認め、出演中のすべての番組を降板した。
ところが、彼の妻が唐突に「主人の無自覚な行動により多くの方々を不快な気持ちにさせてしまい、大変申し訳ございません」という謝罪文をSNSに載せたのだ。それに対して「悪いのはあなたではない」「なんとか危機を乗り越えてほしい」との応援メッセージが多数書き込まれているという。
俳優は人々の関心にさらされるのも仕事のうちとは言うけれど、プライベートに関する問題で公に謝罪する行為には首を傾げたくなる。何より、配偶者の不倫で一番傷ついたはずの当事者が人々に頭を下げるという状況は、主客転倒のように思える。韓国でも、芸能人夫婦の醜聞が人々のあいだで噂になることはあるが、被害者の立場にある配偶者が謝罪文を出したという話は聞いたことがない。だが、日本ではよくあることだ。韓国人には不可思議に思えるそうした行動の背景には、「うち」と呼ばれる日本独特の共同体感覚がある。
似ているけれど違う「うち」と「ウリ」
日本の「うち」は、家族や友人など身近な人たちを指すという点では韓国の「ウリ」と同じような概念だが、日常の中の共同体感覚という側面では異なる点が少なくない。韓国の「ウリ」は、私的な交流や親しさで結びついた人々、との意味合いが大きい。それに比べ、日本の「うち」は公的なニュアンスが強い。夫婦や家族、友人間の関係だけでなく、会社や団体など集団に所属していることも、「うち」という共同体の一員であることを意味する。
「うち」が「ウリ」と明確に区別される特徴は、個人と共同体のアイデンティティが同一視されるという点だ。この違いが決定的に表れるのが敬語の使い方だ。日本では、相手が外部の人である場合、「うち」の人のことは自分より目上であっても容赦なく低めて話すのが礼儀だ。