13歳で芸能活動開始…小中高大と全部不登校だった学生時代
――倉持さんは13歳のときから活動をはじめ、今年活動20周年だそうですね。学生の時は学業との両立が大変だったのでは。
倉持 それがあんまり通ってなかったんですよ。小中高大と全部不登校で。特にいじめられたとかじゃなくて、同じ時間に同じ場所に行けない、学校に行こうと思っても足が動かなくなっちゃうんです。だから、普通のお仕事もできなくて。
――たしかにグラビアのお仕事だと時間も場所も日によって違いますよね。
倉持 そうなんです。毎日違うことはできるけど、逆に、毎日8時に定時出社とか、学校に行く、みたいなことが全くできないんです。だから、そういう自分の特性が湊に受け継がれてしまったんだろうかとか、そういうのもあって自分を責めていたんですけど。
――ご自身の特性を活かした道を早くから見つけていた、とも言えますよね。
倉持 誰でも凸凹ってあると思うんです。発達障害はその凸凹が顕著なものだと思うので、湊に関しても、凹の部分を平らにすることに力を割くのではなく、凸を大きな凸にしていってあげたいなと思いますね。
「尻なんか出して恥ずかしい仕事」って思われてるかもしれないけど…
――倉持さんの場合、その凸がグラビアであり、お尻であったということでしょうか。
倉持 そうかもしれないですね。グラビア界って「童顔巨乳」が不動の人気で、その山はたとえるなら日本一の“富士山”なんです。で、その富士山のてっぺんに行くために、たくさんのグラドルたちがずらーっと山道に列を作っている状態というか。
その中で私は山道の手前の樹海で9年ぐらいさまよって、これは無理だなと思ったとき、もう富士山じゃなく、その近くに“尻の山”をたてようということで、方向転換して。尻の山は“童顔巨乳山”より低いかもしれないけど、てっぺんにいればメディアに見つけてもらえるだろうから、人と違うことを武器にしようと思ったんです。
――自ら築いた“尻山”の山頂から見た景色はいかがでしたか。
倉持 すごくいい眺めでしたね(笑)。尻の山を築かなかったら、たぶんずっとメディアに出られないままグラビア界の樹海を彷徨っていたと思うので。
そうやって本当に自分がやりたいことを順序立てて、目標のために逆算して頑張ってきた自負もあるんです。傍から見たら、「尻なんか出して恥ずかしい仕事」って思われてるかもしれないですけど、私は20年間やりたいことをやってきたから、息子にも「ママはこれで君のおむつ代を稼いだし、今住んでいるお家もママがグラビアをやってきたからローンを組めたんだよ」と、尻を張って言いたいと思います。
撮影=杉山秀樹/文藝春秋