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―― でも、プロは照明がすごいってお話がありましたが、神田川の中に入って渡っていくナイトシーンでの照明が素晴らしかったですよね。

黒沢 そういうのはちゃんとしようとしていたんですけど、内容は……。高橋伴明さんも、「予算とスケジュールがちゃんと守られているならば何をやってもいいのがピンク映画なんだ」と言うものですから。

―― ピンクの映画館で公開されて、反響とか評判はどうだったんですか?

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黒沢 その頃って、反響というものがよく分からない。僕自身が反響のことを何も気にしていなかったですし。

―― 映画会社はどう言っていたんですか?

黒沢 ミリオンフィルムは、いいも悪いも言わないんですけど、二度と声をかけないという感じでしたね。

―― そんな感じですか(笑)。怒られなかったですか?

黒沢 怒られもしないです。「こんな妙な映画ができて、面白い、面白い」って自分たちで言っていて終わり。当時、ピンク映画はヒットするもしないもないわけですよ。3本立てぐらいで上映されて。

©藍河兼一

日活ロマンポルノから一般映画に変更された『ドレミファ娘の血は騒ぐ』

―― 次に日活で撮ることになります。

黒沢 そこから僕の苦難のキャリアが始まるんですけどね。小中にも出ていただいた。

―― 僕も出演者の一人でした。

黒沢 まだ20代でしたけど、『神田川淫乱戦争』では特に怒られなかったから何の反省もせず。そうしたら、日活が「ロマンポルノを撮らないか」と言ってきたんですよね。

―― 日活から言ってきたんですか。

黒沢 日活から言ってきたんです。「もちろんやりますよ」と言って、脚本を書いて撮ったのが、出ていただいた『女子大生・恥ずかしゼミナール』です。伊丹十三さんまで出てくれて。洞口依子さんのデビュー作というトピックもある。撮影はなかなかきつかったですけど、かなりやりたいことをいろいろ盛り込んで、力の入った作品でした。

―― そうですよね。ミュージカルシーンもありました。

黒沢 こちらは失敗したとも悪いとも思っていなかったんですけど、日活が……まだラッシュの時点でしたけど。「こんなものは公開しない」と言ったんですよね。

―― その理由はエッチなシーンがないから?

黒沢 なくはないんですよ。理由は、結果分からずじまいなんですけど。