「相手の人生に自分は必要ない」
「ここに入ったときは、現実を受け入れられないっていうか。彼女と友達のことをずっと考えていました」
「前に、犯罪やめろって言ってくれた子たちだよね」
「はい。早く会いたい気持ちばっかりで、どうやったら早く出れるかなとか、どうにか会うことができないかとばっかり考えていて」
「私もそうだったよ。待っている仲間のことばかり考えてた。それが自分の大事なものだったからさ」
「どうやってすればあの子たちを幸せにできるのかなとか、ここで何をやんないといけないのかなとか。あと、次何やろうかなって、悪いことを考えてしまうこともありました」
正直なコウタの言葉に、自分の過去を思い出してしまう。まったく反省していなかった私に比べれば、コウタの「悪いことを考えてしまう」なんてかわいいものだ。
「それ、最初のときのことだよね。いま、1級生になってどう思っているの?」
「いまは、大切な人たちのことはもういいやってなったのと、あと社会に出て、助けてくれる大人がいないなら、自分ひとりでやるしかないなと思った」
「えーと、まず整理して聞くね。大切な人のことはもういい、って思うようになったのは、なんでそう思ったの?」
「相手の人生に自分は必要ないから」
コウタはきっぱり言い切った。
「なんでそう思うの?」
「自分が幸せにできないから。そこまでの力が自分にはないってわかったから」
「それってどういうことかな」
「ここの先生(法務教官)にも、『自分が幸せじゃないのに、人をどうやって幸せにするんだ?』って言われて。『いや、でも、幸せにするんです』って言ってたんですけど」
「うん」
「考えていくうちに相手を幸せにするって、ただ、自分の自己満じゃんとか。じゃあ自分はその人をどのぐらい幸せにできるかとか、自分はどうやってあの人を笑顔にすればいいんだろうな?とか考えていくうちに、自分には無理だなとか。自分がいない方が相手の幸せになるんじゃないとか思った」
コウタの幸せにしたい気持ちはどうして一方通行なのだろう。誰かを幸せにしたい気持ちも、自分が幸せになりたい気持ちも両方持ってていいのに、コウタの言葉からは自分の幸せについて一切感じられない。
まるで誰かのために尽くすことが義務であり、誰かのために自分を犠牲にしているように私は思えた。