幸せについてもう一度、考えて
誰かの笑顔が自分を笑顔にしてくれ、自分の笑顔で誰かが笑う。これが自然なことだと私は思う。コウタにも笑顔になってほしいと思った。
「先生が言うように、自分が幸せじゃないのに、相手をどうやって幸せにするのっていうのも一理あるなと思うんだけど、たとえば彼女がすごく嬉しいことがあって、幸せそうにしてたら……」
「僕も幸せです」
私の言葉のつづきをコウタが言った。
「でしょ? じゃあ、きっとその大切な友達もそうだよ。コウタが幸せだったら、その人たちも幸せを感じるよ」
コウタは黙って私の話を聞いていた。
「先生が言った、自分が幸せじゃなかったらどうやって他人を幸せにできるのって、他人の幸せを考えなくていいってことじゃなくてさ、自分が幸せになることも、相手も幸せになることも大事ってことじゃないのかな」
コウタに伝えたいことがうまく言葉にできないのがもどかしかった。
どうしてもコウタに、幸せについてもう一度考えてほしい。彼なりの幸せの定義を見つけてほしかった。いまのコウタは自己犠牲しているだけだ。
「コウタが不幸になってまで友達を幸せにしなくていいし、友達もそれを望んでないと思う。友達が幸せになることで、コウタも幸せでしょ? コウタはコウタの幸せを掴んでるんで、その幸せを掴んでるところを見る友達も幸せを感じられるし、じゃあお互いに幸せになる方法を考えようっていうふうに考えてほしいな」
もっと人に甘えて。ひとりじゃないから
コウタはただずっと私の話を聞いている。
「コウタさ、……もっと人に甘えていいと思う」
その言葉を言った後に、ああ、私はこれが言いたかったんだ、と気づいた。
コウタには家族、友達、犯罪仲間、向き合っていかなければいけない問題がまだまだたくさんあった。
「コウタ、ひとりじゃないから。決めるのは自分だけど、私だって、先生だって一緒に考えていくことはできる。あと、私はね、自分の決断がよくなるように生きてる。選択に間違いなんかない。自分の選択が正解だよ」