真田広之はデビュー以来、飽くなき挑戦心をもってさまざまに役柄の幅を広げていった。そして、四十代を迎える二〇〇〇年前後には早くも、その芝居は円熟味すら感じさせるようになっていた。
だがその一方で、日本映画は真田の成長に反比例するように、その質もスケールも、大きく落としていく。そのため一観客、一真田ファンだった身としては当時、「真田広之の表現力に映画の中身が追いついていない」という実感があった。劣化が著しかった日本映画のちっぽけな枠に、もはや真田は収まらないように思えた。出演作を観る度に実力を持て余し気味に映り、もったいない気がしていた。
そうした中でも刺激的だったのが、悪役だ。作品そのものをも凌駕する存在となった真田が悪として立ちはだかれば、それは最強の敵として映し出されることになり、必然的に作品はスリリングに盛り上がる。そう気づかせてくれたのが九九年のテレビドラマ『刑事たちの夏』だ。真田は黒幕の官僚を嫌らしいまでに冷徹に演じ、役所広司や大竹しのぶすら圧倒していた。
そして、今回取り上げる『陰陽師』も、悪役としての真田を堪能できる一本だ。平安京を舞台に陰陽師・安倍晴明(野村萬斎)の活躍を描く本作で、真田は晴明と対峙する陰陽師・道尊を演じる。
萬斎を除く大半の俳優が平安貴族には見えないほど貫禄が足りない中、真田だけが初登場時から圧倒的な気品と威厳を放つ。それでは作品として心もとないところだが、これが結果として効いていた。
というのも、萬斎は妖しさも色気も気品も、日本の俳優で群を抜いている。その前に立ちはだかる敵を演じるには、真田のように他を圧倒できる役者でないと物語の緊張感が生まれないのである。
それだけではない。本作で道尊は貴族たちの心に巧みに入り込み、意のままに操っていく。これをリアルに見せるためにも、真田のように周囲に対して超然としている役者である必要があるのだ。
また、気品や威厳だけではなく「悪」としての闇も、真田は見事に表現している。特に、冷たい眼差しとともに放たれる微笑が実に恐ろしく、道尊の尋常ならざる強敵ぶりを迫力たっぷりに伝えていた。
真田には、このまま悪役や大御所の地位に収まる道もあったはずだ。が、それに満足することなく『ラスト サムライ』でハリウッドに進出、それまでのキャリアをリセットして改めて積み重ね、約二十年の歳月をかけてアメリカでも頂点に立ってのけた。
真田はここにも満足することなく、歩みを続けるだろう。どこまでも見届けたい。