満州事変において、「軍神」となった鉄道兵がいた。ノンフィクション作家・早坂隆氏が今では忘れ去られているその「秘話」に肉薄する。

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「軍神」となった鉄道兵

 満洲事変において、鉄道兵の中から「軍神」が生まれた。今では歴史の埃に埋もれた「秘話中の秘話」である。彼が発揮した壮大な勇気と責任感により、日本軍は多大な犠牲を回避することができた。

 荒木克業(かつなり)工兵中尉(没後、大尉)は、明治40(1907)年10月20日の生まれ(12日という記録も有)。熊本県飽託郡内田村(現・熊本市南区内田町)の出身である。

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荒木克業・工兵大尉(『写真で見る鉄道連隊』より)

「軍神」の義弟にあたる方とお会いすることができた。荒木の実妹(故人)の夫にあたる林田忠昭さんは現在、荒木の生家を継いで暮らしている。

「荒木家は元々、熊本藩の武士だったそうです。『家老』と聞いたこともありますが、随分と偉かったそうで、駕籠に乗って熊本城まで通っていたとも聞いております。克業さんについては、お義父さんがよく『とにかく、わるごろ(著者注・熊本弁で悪ガキ)だった』と話しておりました。刀を持って兄弟を追いかけ回したりとか、変わり者で、負けん気が強かったらしいです。ある日、学校で何かして先生に『立っとけ』と言われたら、夕方に『もう帰っていい』と言われても『いや、帰らん。立っとけと言われたから立っとる』と強情を張ったそうです」

 熊本では「頑固者」のことを「肥後もっこす」と言うが、その典型だったとも言えるだろう。学校の成績は優秀だったが、音楽は苦手だったという。

 林田さんによれば、以下のような人間味あふれる逸話も伝わる。

「性格としては、茶目っ気もあったそうです。ある時、お母さんにこう言った。『サイダーというのは、ずっと置いておくと炭酸が抜けて水になってしまうよ』と。後日、家に来客があり、母親が客にサイダーを出すと、中身は水。克業さんが飲んでしまい、代わりに水を入れておいたという話です」