亡くなった被害者女性は村でも評判の美少女…。1915年(大正4年)、18歳女性が絞殺された上に、竹で串刺しにされた残忍事件。その後、捜査でわかった犯人男の正体とは? そして、意外な共犯者とは? 新刊『戦前の日本で起きた35の怖い事件』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

なぜ犯人はすぐ捕まったのか? 写真はイメージ ©getty

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「死体だ! 女の死体だ!!」

 1915年(大正4年)5月7日午前7時頃、岡山県御津郡鹿田村(現在の岡山市北区)の鹿田駐在所に1人の農夫が駆け込み「死体だ! 女の死体だ!!」と叫んだ。巡査が農夫を落ち着かせて話を聞くと、岡山高等女学校西側の田んぼに出向いて積み藁を持ち帰ろうとしたところ悪臭が漂ってきたので、不審に感じながら藁を除けると、腐敗した女の死体が出てきたという。

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 巡査がすぐに本署に通報するとともに現場に急行したところ、惨い有り様の遺体が確認される。陰部から竹が突き刺さっていたのだ。検死により、竹は胸部にまで達しており、遺体は死後1ヶ月ほど経過、直接の死因は絞殺と判明。

 さらに田んぼ付近の側溝からは被害者のものと思われる金盥と櫛、女物の下駄が発見されたことから、まもなく遺体の身元は鹿田駅(現在の大元駅)前の飲食店を営む大島家の娘で、周囲で評判の美少女、テル(事件当時18歳)であることがわかる。

被害者は村で評判の美少女だったという。写真はイメージ ©getty

 テルは同年2月中旬の夕暮れ時に、化粧道具を手に自宅から800メートルほど離れた銭湯に出かけたまま行方不明になっていた。このとき、すぐに警察に捜索願が提出されていたら事はまた違う展開になっていたのかもしれないが、彼女の両親は娘が家出したものと思い込み、それが世間に知られては娘の将来に傷がつくと考え誰にも相談せずに家人だけで心当たりを探していた。

 発見が遅れたことで捜査は難航した。しかし、聞き込みを続けることで警察は青山信二(同18歳)を容疑者として絞り込む。