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借金ばかりが膨れ上がって…

「おかげで10万坪も買い足すハメになったよ。悪い時には悪いことが重なるもので、遺跡騒動で揉めてる最中に第1次、第2次とオイルショックの波をもろにかぶった。資材はどんどん値上がりしていくし、いくら金を注ぎ込んでも工事が一向に進まない。

 その間に地上げの交渉だけでも済ませておこうとしたら、取引相手に足元を見られてね。公民館で公聴会を開いて値段の交渉をしてると、『小林さんよ、俺は昔からのあんたのファンなんだ』なんて言われるんだ。『天下の小林が、わずか50円負けろだのなんだのって似合わねえこと言うなよ』と。そんなことを言われたら二の句も継げない。1坪50円違ったら、相当の差が出てくるんだけど『スターが細かいこと言いなさんな』と言われたら、俺は黙るしかなかった。

 事業に徹して『冗談じゃねえ』って言い返せれば、状況はもう少し変わっていたかもしれないが、所詮は素人経営。俺はビジネスに徹することができなかった。そんな甘い考えでうまく行くはずもなく、けっきょく借金ばかりが膨れ上がっていったよ」

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 資金繰りのために小林は日本中を走り回り、スターのプライドをかなぐり捨てて金主に頭を下げた。ところが、1、2ヶ月で返すつもりで借りた数千万円の金が1日と持たずに露と消える。数億円を用立ててくれたスポンサーの金も焼け石に水でしかなかった。

©文藝春秋

最終的な損失額は200億円近くに上り、十数億円の借金が残った

「年の暮れに会社の机に札束の山をドーンと積むんだけど、支払いに回したり、社員に給料を渡したりしてるうちに、みるみる目減りしていくんだ。山がどんどん小さくなって、2、3000万あった金が最後には30万くらいしか残らなかった。それじゃ、自分の給料にもなりゃしないよ。

 あるとき手形が銀行に持ち込まれたら倒産は免れないという事態になった。慌てた俺は藁にもすがる思いで債権者の家に駆けつけたが、あいにく家主は不在だった。冬空の下、薄い背広一枚でひと晩中震えながら帰りを待ったよ。ようやく会えた時、俺の靴は凍ったアスファルトにひっついてバリバリになっていた。何とか手形は割られずに済んだし、あの時、家にあげてもらってご馳走になった温かい紅茶の美味しさは一生忘れられないな」

 膨らみに膨らんだ借金はもはやどうすることもできなかった。銀行の忠告もあり、小林の会社は1976年に不渡りを出して倒産する。最終的な損失額は200億円近くに上り、小林には十数億円の借金が残った。

「当時の報道では1億4000万円の負債と報じられたけれど、実際にはその10倍くらいあったんじゃないかな。1万円札が聖徳太子だった時代だから、いまとは比べものにならない途方もない額だよ」