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山口さんの子供の頃の食卓を想像し、「食べることが大好き」と言う理由がわかった気がしました。昭和50年代、経済成長のなかで急速に発展していく浜松の街の様子を私なりに想像しながら、窮屈な子供時代から自由になろうと、山口さんが夢中で食べた海老バーガーの味を思い浮かべました。そして、「山口さんの若い頃にはそんな情景があったのですね。海老バーガーはほんとうにおいしかったでしょうね」と言葉をかけました。

「食べたい一心で、無我夢中だったね。一口ほおばったときのおいしさはいまでも覚えている」と、山口さんはしみじみと話しました。そしてしばらく沈黙したのち真顔になり、「こんな私だけど、これでよかったのかね」と言葉を続けました。

私は、「こんな私」と自分を粗末にする表現をしたことと、窮屈な子供時代を過ごしたことには何か関係があるのかもしれないと想像しました。そのうえで、自分の素直な気持ちを伝えました。

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「山口さんと話しているとき、私はいつもほんとうに楽しい時間を過ごしていました。そんな素敵な山口さんがダメなんてことはありえないと、こころの底から思いますよ」と。

山口さんは、「そうかな。ありがとう」と、顔をくしゃくしゃにして涙を流しました。

日常が輝きを放つ

人は死が近づくとこれまでを振り返り、「自分の人生はこれでよかったのだろうか?」といった問いが浮かぶことがあります。山口さんが海老バーガーを食べた日は、人生の転換点だったのでしょう。それで、生涯でもっともおいしかったものとして海老バーガーを思い出したのではないでしょうか。

自分の生きる意味を探し求めている私も、死が近くなってこれが最後かもしれないと思ったとき、山口さんの梅びしおのように、日常の何気ないものが輝きを放つのではないかと想像します。そして、懐かしい過去にたくさん想いを馳せ、「いろいろなことがあったなあ。失敗もしてきたけど、これでよかったな」と振り返ることができるのではないかと期待しています。会いたい人に感謝を伝えて別れを告げ、体力が許せば思い出の場所を訪れ、そのたびにしみじみと涙を流すのでしょう。