本人に直接言わないからこそ書ける
やなせさんは、ハガキでなければ面と向かっては言えないというような内容も選んだ。
ボランティアで結婚してあげたって言ってごめん。
もう、あなたなしでは生きていけない私です。(第4回)
顔が真っ赤になりそうだが、本人に直接言わないからこそ書ける。
涙が出そうになるハガキも選んだ。
おとうさん。
ウエディングドレス姿を見せてあげられなくて
ごめんなさい…。
自分の娘のその時を、とずっーと楽しみにしてたはず。
まさかこんなに早くお別れなんて思わなかったから、謝るまでにも時間かかってそれも
ごめんなさい…。
だけどおとうさんも謝って!
まだ56歳だったのに
これからが人生だったのに母さん残して逝って
ごめんなさいって…(第3回)
このハガキは、文字だけでイラストはない。
他にも、やなせさんの人生に重なり合うようなハガキを選んだ。
古里すてて ごめんなさい
お父さん お母さん そばにいなくてごめんなさい
心はいつも 高知に向いていても
すぐには いけない もどかしさ
明るくておおらかな人々 心許せる友
青い空 光る海 すんだ川 私を育ててくれた人や物
すべてに 背を向けて 去ってしまって ごめんなさい
賑やかなおきゃく 豪快な皿鉢料理
返し杯も 縁のないこととなりました
人のあたたかさが 一番大事と 気づいた今
すなおに いいます ごめんなさい。(第2回)
緑の山、青い川、虫取り網を持って走る少女が描かれていた。茨城県に住む43歳からの応募だった。
やなせさんは第5回まで審査委員長として関わったが、88歳という高齢になっていた。
「審査をはじめとして、様々な形で協力していただきましたが、『あとはもう自分達でやりなさい』と言われました。ただ、亡くなる前年まで結果の報告は欠かしませんでした」と、コンクールを裏方として取り仕切ってきた徳久さんが語る。