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ところが端島では、大量に産出されたボタを外周拡張のための海の埋め立て工事に使っていた。端島の最初の埋め立ては1897(明治30)年。その後も段階的に埋め立てられ、1931(昭和6)年まで計7回の埋め立て工事が行われて現在の面積となった。

また、ボタは投棄されるだけでなく、坑内でも使われていた。石炭を採掘したあとの穴に埋め戻す、充填という作業の資材としてだ。坑内の浸水や落盤を防ぐため、あるいは、石炭の自然発火を防止するためという理由がある。島の北側、外海に面した31号棟の2階半の位置には、ボタを運ぶためのベルトコンベアの跡がある。住宅棟を貫通する形で、コンベアが設置されていたのだ。

だが1956(昭和31)年5月に、ガス突出により3名の死者が出る事故が発生。1964(昭和39)年8月には、自然発火によるガス爆発が起こり、死者1名、重傷者9名が出ている。

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これによる操業区域の水没後、三ツ瀬区域の採炭が開始されるまでの約1年間は、品質のいい石炭が産出されず、ボタばかりが産出された。そのため大量のボタが海に投棄されることとなり、島西側の海岸には1年間ほどボタによる浜辺が出現したという。しかし結局はそれらも海中に投棄され、ボタ山はなくなった。

風来堂(ふうらいどう)
編集プロダクション
編集プロダクション。国内外問わず、旅、歴史、アウトドア、サブカルチャーなど、幅広いジャンル&テーマで取材・執筆・編集制作を行っている。バスや鉄道、航空機など、交通関連のライター・編集者とのつながりも深い。編集した本に『秘境路線バスをゆく 1~8』『“軍事遺産”をゆく』『地下をゆく』(イカロス出版)、『攻防から読み解く「土」と「石垣」の城郭』(実業之日本社)、『路線バスの謎』『ダークツーリズム入門』『国道の謎』『図解 「地形」と「戦術」で見る日本の城』『カラーでよみがえる軍艦島』(イースト・プレス)、『ニッポン秘境路線バスの旅』(交通新聞社)、『2022年の連合赤軍 50年後に語られた「それぞれの真実」』(深笛義也著、清談社Publico)、『日本クマ事件簿』(三才ブックス)などがある。