この堆積と石炭化の過程で泥炭は褐炭〜瀝青炭〜無煙炭の順に性質を変化させ、何百万年、何千万年という長い年月をかけて、それぞれ地層を形成する。こうして「炭層」と呼ばれる石炭の地層ができあがるのだ。炭層の厚さはさまざまで、数cmのものから100m以上に及ぶ場合もある。この炭層が、隆起や浸食により採掘可能な深度に存在するー帯のことを炭田と呼び、この炭田が炭鉱として開発・採炭可能な区域である。
近代技術の粋を結集した効率的な採炭作業法が発展
炭鉱では深度ごとに掘り進められた坑道で採炭作業を行うが、その技術も時代が進むにつれて進歩した。明治〜大正期はツルハシを用いて人力で壁を削って採掘する最も原始的な採炭方法、いわゆる「手掘り」だったが、昭和10〜20年代にはコールピックによる作業が主力となっていった。
発破とは文字通り、火薬による爆破で採掘する方法だ。岩層に発破孔を穿(うが)ち、そこに火薬を装填して発破(はっぱ)をかける。穿孔(せんこう)作業はタガネとセットウと呼ばれるノミとハンマーで行われていたが、やがて機械化されることになる。コールピックとは小型の手持ち採炭機械で、圧縮空気を用いてノミを叩き、その打撃によって岩石や石炭を破砕するというものだ。
昭和30年代になると、ホーベルやドラムカッターといった機械の導入が進む。ホーベルは大型の機械で、切削部を壁面に押し付けながら往復させ、カンナで削るようにして炭壁を切り崩すものだ。ドラムカッターは回転する歯によって切削する大型機械。これらの登場で採炭効率は飛躍的に向上した。
そうした採炭能力の向上とともに、それに見合う運搬能力も求められるようになった。切羽(きりは)(坑道の先端)にはチェーンコンベアが導入され、その先の主要坑道では機関車が牽引する炭車が用いられた。竪坑下から地上までの運搬は巻揚機がその役割を担った。
近代化とともに多くの作業が機械化されていったが、採炭作業を担うのはやはり、鉱員たちの力が必要だった。特に坑内員の作業は過酷を極め、温度約35度、湿度約95%という蒸し暑さの、暗く狭い坑道で労働していた。戦時中の採炭作業は24時間体制で、12時間で区切った1日2交代制。一度現場に向かえば、12時間は海底深くの坑道から出てこられないのだ。