戦後には8時間の1日3交代制となったが、機械化が進む一方で、労働環境は長らく悪かった、という一面もある。
ケージを安全に降ろし命を守る竪坑の「巻揚機」と「捲座」
竪坑内でケージを乗降させるためには、ケージに接続するワイヤーを巻き取るための巻揚機が必要だ。その巻揚機が設置されている施設を総称して、捲座(まきざ)、捲座小屋などと呼ぶ。巨大な鉄製のドラム・巻胴(まきどう)に巻き付けられたワイヤーが、竪坑櫓の滑車を経由してケージを吊り下げ、坑道へ向かう作業員たちをピストン輸送してゆくのだ。
主力の第二竪坑の捲座小屋は、コンクリートにトタン張りで、他よりも規模が大きかった。とはいえこれは、1949(昭和24)年に造り替えられた新しいものだ。それまでの巻揚機が置かれていた基礎は、過去の上層採掘の影響で地盤が不安定になってきており、そのままでは運転継続が困難になる可能性すら出てきていた。
新たな巻揚機の基礎は重さ250t、直径9mの鉄筋コンクリートの円筒を岩盤まで沈めた巨大なもの。日々坑内員や採炭された石炭を運び続けるケージの動力部分であるだけに、これだけの頑強な基礎が必要なのだ。
しかし再建後、第二竪坑捲座は台風による被害を受ける。1956(昭和31)年の台風9号により端島全体に甚大な被害がもたらされた。捲座の上屋も被害を受け、すぐさま復旧工事が進められた。
第一竪坑の捲座は基礎などの痕跡も含めて所在がはっきりとわかっておらず、第二竪坑捲座は昭和初期に造り替えられたもの。第四竪坑は通常排気用として使われており、捲座はほとんど稼働していなかった。そのため、現存する第三竪坑のレンガの壁が世界遺産の対象となっている。
大規模炭鉱にもかかわらず端島に「ボタ山」がなかった理由
ところで、一般的に炭鉱には、排出した岩石や質が悪く用途がない石炭の総称である「ボタ」を集めたボタ山がつきもの。高く積み上がったボタ山が炭鉱の象徴となっているケースも少なくはない。