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 ユニコーンでデビューが決まり、郷里の広島から何も知らないまま上京した20代はとにかくインプットの毎日であったという。30代はそうやって得た知識や経験を最大限にアウトプットした。先述したPUFFYのプロデュースや「ひとり股旅」といった新たな挑戦もあった。

「ユニコーンをまた続けられる」と思った理由

 そうしているうち確実に経験値が上がって40代を迎えると、「あのときの仕事のやり方は正解だったのか」「いまならもっといいものがつくれるんじゃないか」と振り返るのが楽しみになったという。40代はその上で30代の自分を一度リセットして再起動する時期であったようだ。44歳になった2009年にはユニコーンを再結成した。《俺がユニコーンをまた続けられると思ったのも、自分を再起動して生まれた「空きメモリ」に、ちょうど収まるピースを見つけられたからかもしれない》と奥田は顧みる(『59-60』)。

2009年に16年ぶりの復活を果たした(ユニコーンオフィシャルサイトより)

 そして直近の10年である50代は「最適化」の年代であったという。体力との勝負となり、仕事も「これは疲れるからやめよう」などと取捨選択するようになった。その際のポイントとして「若いときは忙しくてできなかったけど、本当に好きなことをする」と決めており、たとえば、専用車で屋外レコーディングをする「トツゲキ!オートモビレ」というYouTubeでの企画などがそれに当てはまるという。

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 ちなみに、この企画で使う専用車「トツゲキ号」は、300万円で買った車の150万円分ぐらいを捨てて、1からつくり直したとか。無駄だとは本人も自覚しているものの、《こういうバカバカしい遊びが楽しいし、俺にとっては大事な気がする》と話す(同上)。

奥田民生のYouTubeチャンネルより

できるだけ無駄な時間は排除したいと思うようになってきた

 ただ、奥田は一方で、60歳を目前にして、自分に残された時間を意識し、できるだけ無駄な時間は排除したいと思うようにもなってきたという。これまでを振り返っても、《経験上、ムダだと思ったものが後で「ああ、すげえ助かった」ってなったことは一度もない》と断言する(同上)。これに対し、「愛のために」では「いちいち道草して行こう」と歌っていたのに……と訝しむファンもいるだろう。だが、彼に言わせると、たしかに自分も道草をすることはあるが、それは「あえてムダを楽しむ」ときで、それ以外の無駄で「やってよかった」と思えることはほとんどないらしい。