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小室哲哉が羨ましがった奥田プロデュース

 もっとも、大貫も吉村もそれまでに歌手の経験はなく、奥田に言わせると「あまりに下手過ぎた」のでそれなりに厳しく指導したようではある。その結果について、当人は《そこそこの成果は出せたと思う》と近著『59-60――奥田民生 の仕事/友達/遊びと金/健康/メンタル』(ダイヤモンド社、2024年)で書いているが、小室哲哉のプロデュース全盛期に殴り込みをかけるようにPUFFYを「アジアの純真」でデビューさせると、「そこそこ」どころかミリオンヒットを連発する。

PUFFYのデビューアルバム『amiyumi』(1996年/ソニー・ミュージックダイレクト)

 ちなみにそれから10年あまりのち、奥田のプロデュースを当時どう思っていたのかと訊かれた小室哲哉は、《羨ましかった、軽妙なサブカル的な乗りでできていることが。僕自身、サブカル的なことに憧れていたのに、いつのまにか芸能としか言えない音楽活動の道を辿るほかなかったからですね》と答えている(『AERA』2008年5月5日号)。逆にいえば、そんなふうに奥田を羨望の眼差しで見るほど、小室はあまりに多くのものを一人で抱えすぎたのかもしれない。そう考えると、やはり奥田の身軽さには驚くほかない。

世間でのイメージに対し「本当は肩に力入りまくりです(笑)」

 奥田はPUFFYでヒットを飛ばすなか、1997年には先輩ミュージシャンの井上陽水と、それまで何の当てもなくつくってきた曲を集めて「井上陽水奥田民生」名義でアルバム『ショッピング』をリリース、これもヒットした。その身軽さはさらに、1997年と1998年の2度にわたる「股旅ツアー」を成功させたのち、1998年秋からバックバンドもつけず、生ギター1本で各地をまわった「ひとり股旅」で拍車がかかる。

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 ただ、本人は世間でのイメージと実際の自分にギャップを感じているらしい。60歳を前にした最近にいたっても、《『肩の力が抜けていていいですね』とか『自然体で羨ましい』と言われますが……本当は肩に力入りまくりです(笑)。全然抜けてない。ライブで演奏する時、どうやって力を抜くのか、ゴルフの時も力を抜ければもっとうまくなるんですけど。いかに力を抜くのか……これは永遠のテーマです》と語っていた(『週刊文春』2024年10月17日号)。

「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場 [SING for ONE ~Best Live Selection~]」(2020年/SME Records)

 むしろ奥田は“力を抜く努力”を重ねてきた、と言うべきなのかもしれない。先にも引用した奥田の著書『59-60』を読むと、彼がいかに年代ごとにステップを踏みながら、「自然体」と呼ばれるスタイルをつくりあげてきたかがうかがえる。