年間約3万人の人が孤独死すると言われている。その8割が生前から、ゴミ屋敷や不摂生の中で暮らす“セルフネグレクト”状態に陥っているという。誰にも助けを求めることなく、そのまま死に至ってしまう人々の行為は、まるで緩やかな自殺のようにも感じられる。
ノンフィクション作家の菅野久美子さんは、そんな孤立した人たちに共感を示す。どんな「生きづらさ」がそこにあったのか。
ここでは菅野さんの『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日文庫)より一部を抜粋して紹介する。関東近県の某市にある一軒家、その2階を間借りしていた一人の男性が亡くなった。菅野さんが特殊清掃人の上東丙唆祥(46)に同行して目撃した、孤独死の清掃現場の実態とは……。(全6回の5回目/続きを読む)
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ペットボトルの液体の正体
上東は、ペットボトルの中の異様な臭いを放つ液体が、この部屋で亡くなった佐藤浩二(仮名・享年65)の尿だということにすぐ気づいた。
そう、佐藤は何十本、いや、何百本という数えきれないほどのペットボトルに、自らの尿を溜めこんでいたのだ。部屋の四方八方に無造作に投げ出されたその臭いに圧倒され、しばらくはアンモニアも目に染み、薄眼を開けることしかできなかったが、次第に臭いに慣れると、辺りの様子がわかってきた。
そうして目に入ったのは、肩のあたりまでうず高く積もったゴミの山であった。山は中央に向かって、なだらかなくの字型の傾斜を描いていて、白や透明のコンビニのレジ袋が幾重にも積み重なり、その隙間を紙パックの緑茶が埋め、白い雪山にカラフルな色合いを添えているようにも見える。
そして、そのこんもりとしたゴミの山の中からも、尿入りペットボトルがところどころニョキッと斜めに頭を出していた。
手前に4畳半の板の間があり、奥に6畳の和室、和室の脇がバスとトイレという造りだが、大量のゴミに埋もれて、畳はすっかりその姿を隠している。ゴミの最上部は、数日前の賞味期限の半額シールが貼られた惣菜のプラスチックトレーや、栄養ドリンクの瓶などが支配していて、その下には得体のしれない未知の層が幾重にも重なっている。