年間約3万人の人が孤独死すると言われている。その8割が生前から、ゴミ屋敷や不摂生の中で暮らす“セルフネグレクト”状態に陥っているという。誰にも助けを求めることなく、そのまま死に至ってしまう人々の行為は、まるで緩やかな自殺のようにも感じられる。
ノンフィクション作家の菅野久美子さんは、そんな孤立した人たちに共感を示す。どんな「生きづらさ」がそこにあったのか。ここでは菅野さんの『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日文庫)より一部を抜粋して紹介する。
関東近県の某市にある一軒家、その2階を間借りしていた佐藤浩二(仮名・享年65)がゴミの山の中で亡くなった。菅野さんが特殊清掃人である上東丙唆祥(46)の作業に立ち会った後、大家から聞いた生前の男性の様子とは……。(全6回の6回目/最初から読む)
◆◆◆
34年間、懇意だった大家
ひととおりの片づけが終わった後、私は1階の大家夫妻を訪ねた。インターフォンを鳴らすと、腰の曲がった、頭の真っ白な大家夫妻が現れた。玄関口で挨拶を交わす。夫のほうは背中も曲がっていて足元もおぼつかないが、口調はしっかりとしている。
「まさか、佐藤が熱中症で死ぬとはなぁ……。だってこの暑さなのに窓も開けないで、じっとゴミの中にいたんだよ」
藤本孝則(仮名)は、まるで昔の級友のように、店子を呼び捨てにした。
「佐藤は、私たちから見ていても、口下手というか、社交的じゃないんだよね。それで彼女も一度もできなくて、ずっと独身だったの。ほら、私が2階に用があって、階段を上っていこうとするじゃない。そうすると、すぐにパタンってドアを閉めちゃう。絶対にドアを開けたがらないの。中を見られたら困るという感じだったね。今思うと、ゴミ屋敷なのがバレちゃうからだったんだろうね」
そもそもなぜ彼がこの独身者向けアパートにたどりついたのだろう。藤本は、それまでの佐藤の記憶をたぐりよせて話してくれた。
佐藤は、学校を卒業後関東に移り、このアパートの近くのレストランでウェイターを務めていた。正社員だったが、何らかの事情で40歳ぐらいのとき解雇されたらしい。それからは、20年以上にわたって地元の飲食店を転々としていた。
佐藤の最後の勤め先は、近所の生鮮食品の卸売り会社だったという。当日、出勤してこないのを心配した店長が、アパートへ訪ねてきた。携帯に電話しても連絡がつかない、部屋を開けてくれというので、藤本は鍵を手に2階に上がった。店長と2人、部屋に踏み込んでまず驚いたのは、行く手を阻むほどのゴミの山だった。