年間約3万人の人が孤独死すると言われている。その8割が生前から、ゴミ屋敷や不摂生の中で暮らす“セルフネグレクト”状態に陥っているという。誰にも助けを求めることなく、そのまま死に至ってしまう人々の行為は、まるで緩やかな自殺のようにも感じられる。
ノンフィクション作家の菅野久美子さんは、そんな孤立した人たちに共感を示す。どんな「生きづらさ」がそこにあったのか。
ここでは菅野さんの『超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる』(毎日文庫)より一部を抜粋して、20年ぶりに再会した兄が別人のようになっていたという、加藤裕子さん(仮名・50歳)の事例を紹介する。(全4回の1回目/続きを読む)
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20年ぶりに会った兄は別人だった
孤独死する人には、「生きづらさ」を抱えた人が多いと感じる。人生で躓いたまま立ち上がれなくなって、そのままになった人たちだ。
特殊清掃人は、時折、現場に残された遺留品から「その躓き」に気づいてしまい、故人が味わったと思われる苦しみが透けて見えることがある。そして、私自身それが感情の琴線に触れて心が動かされることも少なくない。
加藤裕子が関東某所に住む兄、吉川大介(仮名・55歳)と久々に会おうと思い立ったのは、2018年4月初旬の桜の季節だった。2人は、出身地である鹿児島に住む姉の結婚式以来、20年間一度も会っていない。数カ月おきに、電話で話す程度だった。
兄はいつも仕事で忙しそうにしていた。そのため、裕子は観光などで関東を訪れた際も、直接会うことにはためらいがあった。兄が鹿児島の国立大学を卒業後、東京の上場企業に勤めていることは知っていた。仕事が忙しいのだから連絡を取っては悪いだろうとも自分に言い聞かせてきた。
裕子にとって、大介はいつだって自慢の兄だった。子供の頃から、すらっとした体形で背が高く、英語が堪能だったこともあり、女子学生から絶大な人気があった。大学時代に地元で塾講師のアルバイトをしていた頃は、教え子の中学生から、キャーキャー言われていることを兄が明かしてくれたこともあったし、兄と同じ大学のサークルに所属する同級生からは、「お兄さんって、優しいね」と言われたものだった。そのたびに裕子は嬉しくて、顔がほころんだ。
しかし、そんな兄とも、結婚後は、お互い日々の生活に追われて会えずに、気がつけばあっという間に20年の月日が流れていた。