ソリオの中を東側に抜けてゆけば、「花のみち」。宝塚ホテルの脇を通った先の武庫川の畔には、宝塚大劇場が聳えている。周囲のマンションともども赤い屋根が印象的な統一された町並み。
まさしく宝塚駅は、阪急の城である。阪急宝塚駅の南口、ソリオに通じる小さな広場は宝塚ゆめ広場と名付けられ、中央には宝塚歌劇のモニュメント。まったく、この駅は宝塚歌劇と阪急の世界観の中に浸れる駅なのである。
駅前から少し離れても、宝塚歌劇や駅前商業施設を核とした、華やかで上品な雰囲気は変わらない。
阪急宝塚駅の南側から宝来橋で武庫川を渡った向こう側。そこにも温泉施設や旅館、大きなマンションなどが並び、この町がそこらへんの町とは違う、特別な地であることを誇示しているかのようだ。
いつからこんなに「阪急の町」になった?
宝塚が阪急の町になったのは、1910年に箕面有馬電気軌道(箕有電車、現在の阪急電鉄)が開業してからのことだ。
ただし、それ以前から現在のような行楽の地となる素地はあった。1887年に宝塚温泉が開かれ、1897年に阪鶴鉄道(現在のJR福知山線・JR宝塚線)の開業を契機に温泉旅館が建ち並び、それなりに賑わっていた。宝塚の温泉は古くから知られていたが中世に衰退、改めて明治になって発見・整備されたというわけだ。
1910年に宝塚まで線路を通した箕有電車は、その温泉に目をつけて1911年に武庫川左岸に宝塚新温泉を開く。沿線のレジャー施設として、集客力に期待したのだろう。これが、すべてのはじまりだった。
新温泉の目玉は、温泉の他に屋内プール。しかし、せっかくの温泉のプールなのに温水ではなく、思うように客足が伸びなかった。そこで、プールを閉鎖して劇場にリニューアル。1914年には少女歌劇の公演がはじまった。これが、宝塚歌劇のルーツである。
箕有電車はさらに宝塚を一大レジャースポットとして発展させてゆく。1924年には宝塚大劇場と遊園地の「ルナパーク」。その後も植物園や動物園を開き、戦後の1960年には遊園地や動植物園をまとめて宝塚ファミリーランドとしてリニューアル。宝塚にあって、宝塚歌劇と並ぶ集客施設として人気を集めた。
宝塚市民のみならず、阪急沿線の住宅地に暮らす人たちが休日に遊びに出かけるレジャーランド。それが宝塚だった。