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「ぼくら、浪人ですねん」
「勉強、できんのか」
「ま、そうです」
「ええ若いもんがぶらぶらしてんと働けよ」
ぶらぶらしてんのはあんたやろ―。
「今日は現場、休みですか」
「わしはな、動物が好きなんや」
「そうですか」
「けど、かわいそうやのう。狭い檻おりに閉じ込められてどこへも行けん」
「ほんまですね」
「けど、寝とっても餌くれるのはええな」
「かもしれませんね」
そんなふうに、ねじり鉢巻きのおじさんたちにはよく話しかけられたし、ときには焼鳥や焼酎をごちそうになることもあった。
無粋な施政によって大阪の街はどんどん色褪せた。
美大を出て就職し、よめはんといっしょになってからも動物園や新世界界隈にはけっこう行った。よめはんは此花区の生まれだが新世界を知らなかったので、ジャンジャン横丁や飛田商店街をおもしろがった。あいりん総合センターのあたりには“泥棒市”と称する露店が並び、左右不揃いの長靴やよれよれの作業服が百円、二百円で売られていた。
美術館の周囲はいまのような柵はなく、天王寺公園も出入り自由で、おじさんたちがよく酒盛りをしていた。カルカッタやマニラ、ホーチミンを彷彿とさせるアジア的情景は大阪ならではの値打ちものだったが、花博を理由に閉鎖され、有料の施設と化してしまった。
無粋な施政によって大阪の街はどんどん色褪せていく。そもそも、あの新世界にフェスティバルゲートのような人工娯楽施設が成り立つわけがない。