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泥棒市は見あたらず、おじさんたちはみんな齢をとっていた。
通天閣には修学旅行とおぼしき中学生の団体がいた。エレベーターを待つあいだ、テイクアウトの焼きそばやたこ焼きを食ったりしている。むかしはこの地下に将棋道場があり、伝説の真剣師、大田学が一局五百円の指導料で指してくれた。大田さんは近くの旅館を定宿とし、九十すぎまで生きたという。
通天閣からジャンジャン横丁にもどり、飛田商店街からあいりん総合センターまで足をのばした。泥棒市は見あたらず、おじさんたちはみんな齢をとっていた。ドヤはアパートやレンタルルームに改装され、“生活保護申請”の知らせが目立った。南海電車のガード下は小便の臭いが漂い、乳母車に犬を乗せたおばさんがゆるゆる散歩していた。
日本のアジア健在なり。世の趨勢に負けてはならじ、と切に願った。
